海壁

第九章

硝子の錘

挿絵:硝子の錘

夕方、三隻の船が、はっきり、見えた。

灰色の、帝国の軍の船だった。長さは、この船の半分ほど。どれも、帆柱に、旗がなかった。

三隻は、ゆっくり、横に開いた。前と、右と、左。囲む形だった。

セラフィナが、手すりをつかんだ。

『帝国の船です。…旗を、下ろしているだけです』

「どこのだ」

ヴァルターが、横で、目を細めた。

『十の家の、どこかだ。長たちの船には、旗を下ろす決まりがある。…言えないことを、するときにな』

「話す気は、なさそうだな」

前の船の舷側に、弓を持った兵が、ずらりと並んだ。

矢の先に、小さな布の袋が、ついていた。袋は、濡れて、黒ずんでいた。

セラフィナの顔色が、変わった。

『ほどき矢です。…粒を、唾で濡らした布に、包んであります。刺さると、中でほどけて、燃えます』

「伏せろ!」

マーロウが、叫んだ。

矢が、夕焼けの空を、埋めた。


一本目が、船の腹に、刺さった。

ぼん、と、低い音がした。白い火が、板の隙間から、噴き出した。

二本目。三本目。甲板の縁が、弾けた。帆が、燃えた。

セラフィナが、腰の小袋から、粒を一つ、指先にのせた。包帯を巻いた右手ではなく、左手で。粒を、舌で、濡らした。

指先から、細い光の糸が、伸びた。

セラフィナは、それを、空に、払った。光の糸が、飛んでくる矢を、まとめて、断ち切った。切られた矢は、空の途中で、白く弾けて、散った。

『エステル! 船室に!』

「おかあさまも!」

『私は、ここです!』

セラフィナは、娘を船室へ押しこんで、戸の前に、立った。光の糸を、もう一度、払った。

グレゴールとロルフのグリフォンが、前の船へ、まっすぐ、突っこんでいった。グレゴールの剣が、弓の弦を、端から、断っていった。

船が、大きく、傾いた。

腹の灯りが、ちらついていた。

『腹の、粒の蔵に、一本、刺さっております!』

サイラスが、甲板の穴を、覗きこんで、叫んでいた。

マーロウは、梯子を、飛び降りた。

粒の蔵の壁に、ほどき矢が一本、刺さっていた。濡れた袋が、白く、光りはじめていた。まわりには、船を浮かせている粒が、棚いっぱいに、並んでいた。

これが弾けたら、棚ごと、燃える。

マーロウは、腰の袋から鉤を出して、自分の手のひらを、突いた。血のにじんだ手で、濡れた袋を、握りしめた。

袋の中の水が、消えた。粒が、一つ、手の中に、残った。光が、止まった。

ほどきは、濡れていなければ、進まない。

『血を、お預かりします』

サイラスが、布を、両手で広げていた。

『一滴も、落とさせません。…燃やすまで』


甲板が、重くなった。

マーロウが梯子を上がると、前の船が、すぐ横に、ぶつかるように、寄せてきていた。

そこから、兵が、跳び移ってきた。

十二人。どの兵も、胸に、丸い錘を、下げていた。錘の中で、光が、脈打っていた。

兵が着いたところから、甲板の板が、みしみしと、割れた。船が、ぐうっと、沈んだ。十二人ぶんの重さが、船ごと、下へ引いていた。

『硝子の錘だ』

ヴァルターが、言った。

『裏が、硝子だ。…血は、通らん』

兵たちの、いちばんうしろに、大きな男がいた。胸の錘は、ほかの倍の大きさで、黒かった。

男が、叫んだ。

『一番だ! 一番を、押さえろ! 剣を、取れ!』

男の目は、オスカを見ていた。

ミラベルと、同じ顔を。

錘が、いっせいに、光った。

オスカの膝が、甲板に、落ちた。板が、オスカの膝の形に、へこんだ。

「オスカ!」

マーロウの体も、重かった。一歩が、出なかった。

『継ぎ目だ!』

ヴァルターが、自分も膝をつきながら、叫んだ。

『硝子と、銅の、あいだを、突け! そこだけ、薄い!』

オスカは、剣の柄を、両の手のひらで、挟んでいた。

柄の頭を、胸に当てた。

膝をついたまま、体ごと、前へ出た。

切っ先が、いちばん近い兵の錘の、縁に、刺さった。

硝子が、割れた。

中の水と、濡れた粒が、しぶきになって、オスカの金属の腕に、かかった。

しゅっ、と、鳴った。白い湯気が、一筋、立った。

兵の重さが、消えた。兵は、軽くなった自分の体に、よろけた。

『…一つ』

ジェロームが、真鍮の管を握りしめて、言った。

「いち」

オスカが、言った。

二人目の錘に、突いた。割れた。湯気。

「に」

三人目。

「さん」

兵たちが、剣を抜いて、オスカに、斬りかかった。ヴァルターが、重さの中で、立ち上がった。錘を下げていたころの足だった。重さには、慣れていた。ヴァルターの剣が、斬りかかった兵の剣を、叩き落とした。

「し。…ご」

オスカの腕から、湯気が、止まらなくなっていた。

「ろく。…なな」

ジェロームが、オスカの胸に、管を当てた。顔が、白くなった。

『もう、やめてください! 胸が、熱くなっています!』

そのとき、黒い錘が、光った。

大きな男が、胸の錘に、手を当てていた。

オスカの体が、甲板に、叩きつけられた。

百倍の重さだった。

剣が、手のひらから、滑りそうになった。オスカは、それを、挟み直した。

挟んだまま、顔を、上げた。

「…あと、五人」

機械が止まってから、七十日目の夕方だった。

第九章 了