第七章
名前を刻む

昼過ぎ、禁止区のいちばん南の岩のそばで、マーロウは、穴を掘っていた。
リーネの石の、隣だった。
ガスが、鍬を持って、走ってきた。
『手伝う。三人、連れてきた』
「おれが掘る」
ガスは、鍬を持ったまま、立ち止まった。
しばらくして、ドラグが、黙って、もう一本の鍬を、土に入れた。
マーロウは、何も言わなかった。今度は、触るな、とは、言わなかった。
二人で、掘った。
穴が、できたころ、ジェロームが、岩のそばへ来た。布に包んだものを、両腕に、抱えていた。
浜の砂の上に落ちていた、金属の左腕だった。塩が、きれいに、拭ってあった。
『…お付けしても、よろしいでしょうか』
ジェロームは、眼鏡を外していた。
『動きはしません。…ですが、両の腕で、眠っていただきたいのです』
マーロウは、ジェロームを見た。それから、頷いた。
ミラベルは、納屋の戸板に寝かされて、岩のそばまで、運ばれていた。ジェロームは、その横に、膝をついた。細い針金を、何本も使って、肘のつなぎ目に、腕を留めた。三十年、止まりかけた機械の前で、そうしてきた手つきだった。一度も、急がなかった。
サイラスが、父の横で、針金を渡していた。
『父は、最後まで、手入れをする人でございます』
「…知ってる」
留め終わると、ジェロームは、深く、頭を下げて、下がった。
マーロウは、ミラベルの横に、膝をついた。
金属の左手と、肉の右手を、両方、取った。
それを、自分の頬に、当てた。左右から。
「…これ、好きだったな。おまえ」
そしたら、両手で坊やの顔、挟める。それ、やってみたかったの、ずっと。南へ向かう旅の、焚き火の前で、ミラベルは、そう言った。まだ、指が、曲がっていたころだった。それから、何度も、挟んだ。孤独の大地の、塔の下でも。朝の、納屋でも。
マーロウは、しばらく、そのままでいた。
それから、ミラベルの両手を、胸の上に、重ねてやった。右の手首に、赤い紐が、二本。木の輪が、一つ。
ミラベルを、穴に、寝かせた。
名前のない剣を、一緒に入れようとしたとき、ガルドが、左手で、それを止めた。
『剣は、埋めるな』
「あいつのだ」
『あいつが、何のために持っていたか、考えろ。…誰かの前に、立つためだ』
ガルドは、剣を、岩に立てかけた。
街の者が、一人ずつ、土をかけた。
ガスは、ひと握りの土を落として、そのまま、膝をついた。オットとサムが、両側から、肩を抱えた。ニムが、杏を一つ、穴に落とした。ヴェスタが、根の酒を、少しだけ、垂らした。ミアが、帳面を抱えて、泣いていた。ミラが、木の腕で、土をすくおうとして、こぼした。オスカが、それを、挟んで、手伝った。
ベルは、最後に、土をかけた。
『…一番。おやすみなさい』
それだけ言って、ベルは、いつもの場所に、座った。岩の、根元に。
土を盛った上に、ガルドが、白い石を、置いた。
『何と、刻む』
「ミラベル・グリム・ケイン」
『それだけか』
マーロウが、黙った。
ウィラが、マーロウの袖を、引いた。
『…数えるのが、好き。…でしょ、父さん』
「…数えるのが、うるさい」
マーロウが、ぼそりと、言った。
ガスが、吹きだした。吹きだしてから、声を上げて、泣いた。
ガルドは、何も言わずに、刻み棒を当てた。左手だけで、木槌を振った。字は、一つずつ、少しずつ、曲がった。
『左で刻むと、字が曲がる』
「曲がってていい」
ウィラが、言った。
「ミラベル、まっすぐ歩いたこと、ないもん。いつも、跳ねてた」
ガルドは、ふん、と鼻を鳴らした。それから、最後の字を、いちばん深く、刻んだ。
隣の、リーネの石には、何も、彫っていなかった。名前は、帳面にあるからだった。
「お袋のは、彫らなかった」
マーロウは、二つの石を、見比べた。
「こいつのは、彫る。…名前を、どこにも書いてないのは、もう、いい」
ウィラが、右手を、ぎゅっと、握った。
ロズリンが、帳面を開いた。昨日の朝、書けなかった行の、続きだった。
帝国暦三四九年、秋。浜で。ミラベル・グリム・ケイン、ウィラ・ケインを、海から救う。
『死亡、は、グロムさんの書類に、あります』
ロズリンは、筆を置いた。
『私の帳面には、この人が、したことを、書きます』
日が沈むころ、マーロウは、セラフィナの前に、立っていた。
「明日の朝、船を、出してくれ」
『…よろしいのですか』
「あいつが、行くって言った。おれの前に、立ちに行くって」
マーロウは、岩に立てかけられた剣を、見た。
「…行かなかったら、怒られる」
ロズリンが、帳面の頁を、戻した。おととい書いた行が、あった。行く者、一〇六番、一番、オスカ。
ロズリンの筆が、一番、の上で、止まった。
「消すな」
『…はい』
オスカが、岩のほうへ、歩いていった。開いたままの両手で、剣の鞘を、左右から、挟んだ。持ち上げた。
『あたしが、前に立つ』
「オスカ」
『ミラベルの、代わりじゃない。…ミラベルは、ミラベルだから』
オスカは、剣を挟んだまま、マーロウを見た。ミラベルと、同じ顔で。
『あたしは、オスカ。…オスカが、立つ』
ガルドが、腕を組んだ。
「握れなくても、挟めりゃ、振れる。…振り方は、船の上で考えろ」
ウィラが、前に出た。
『あたしも、行く』
ベルが、岩の根元から、顔を上げた。
『ウィラは、頭まで、海に浸かりました』
「…知ってる。三か月、この街を離れなきゃ、戻る。ガスさんと、同じ」
ウィラは、唇を噛んだ。帝都は、海から遠い、乾いた平野の真ん中にあった。
『…父さん』
「おまえは、ここだ」
『待つんじゃないよ』
「守るんだろ。…知ってる」
ウィラは、白い石と、リーネの石と、ロズリンのお腹と、エマのいる納屋のほうを、順に見た。
『…守る。全部』
夜、みんなが帰ったあとも、マーロウは、白い石の横に、座っていた。
背中を、岩につけて。膝は、抱えずに。
海の音が、していた。リーネの石の前で、ベルンハルトの灯りが、小さく、点いていた。
「…六十四」
マーロウは、小さく、言った。
「今朝は、数えてなかったろ。…だから、おれが、数えとく」
石は、何も、言わなかった。曲がった字が、月の光に、浮かんでいた。
「続きは、おれが、数える。…毎朝な」
機械が止まってから、六十八日目の夜だった。
第七章 了