第三十二章
わかった

二年が、たった。
海壁の街の浜は、北の端から、南の岩の手前まで、緑に、なった。
ベルは、毎朝、杭の数字を、刻んだ。海は、もう、減らなかった。増えもしなかった。ベルは、それを、毎朝、帳面に、書いた。
ミアの左の帳面は、三冊目に、なった。
ガスの頭は、少し、薄くなった。ニムは、少しも、変わらなかった。
エマの首の鈴は、毎朝、浜で、ちりん、と、鳴った。
ウィラは、二十に、なった。リーネは、十に、なった。
朝は、毎朝、二人で、数えた。
南の岩の三つの石の前には、毎朝、杏が、三つ、並んだ。ニムは、もう、文句を、言わなかった。袋に、黙って、三つ、入れて、待っていた。
雨の朝は、ミアが、置きに行った。雪の朝は、ベルが、行った。
ガルドは、ときどき、石の前に、座った。左手で、楔を、削りながら。何も、言わずに。
石の字は、雨に、打たれても、消えなかった。ウィラの字の右肩は、三年たっても、少しだけ、上がっていた。
春の、ある朝だった。
詰め所の前の、日だまりで、チビが、ドラグの膝に、座っていた。
三つに、なっていた。首に、紐を、かけていた。紐の先に、金属の、名札が、さがっていた。窪地の底から、ドラグが持って帰った、壁の兵の名札だった。
チビは、名札を、両手で、持ち上げた。字を、指で、なぞった。
『…け、い、る』
ドラグが、うなずいた。
『…も、お、て、ん、せ、ん』
チビは、顔を、上げた。
『おれの、なまえ』
ドラグは、しばらく、何も、言わなかった。
それから、言った。
「…兄貴の、名前だ」
チビは、首を、かしげた。名札を、もう一度、見た。
『どっち?』
「どっちもだ」
ドラグは、チビの頭に、大きな手を、置いた。
「呼んだやつの、ぶんだけ、ある。…名前は、そういうもんだ」
ロズリンが、戸口で、帳面を、抱えていた。何も、書かずに、聞いていた。
ウィラは、通りの向こうで、それを、見ていた。
首の袋に、手を、当てた。
ミラベルの粒は、三年前と、同じ重さだった。米の半分。十グラム。
けれど、三年のあいだ、ウィラが、毎朝、数えてきたのは、粒ではなかった。
ミラベルが、毎朝、数えていた数の、続きだった。父さんが、ミラベルの続きを、数えた。父さんが、いなくなってからは、ウィラと、リーネが、数えた。
雨の朝も。雪の朝も。窪地の縁でも。
一度も、休まなかった。
ウィラは、通りの真ん中で、立ち止まった。
ミラベルは、袋の中に、いたんじゃない。
毎朝、口から、出ていく数の中に、いた。
「…わかった」
ウィラは、声に、出していた。
納屋に、走った。
リーネが、エマに、干し草を、やっていた。
「リーネ」
『なに』
「わかった」
リーネは、干し草を、持ったまま、ウィラの顔を、見た。
長いこと、見ていた。
それから、干し草を、エマの前に、置いた。柱の釘から、釘を、取った。
板壁の前に、しゃがんだ。
ウィラが わかるまで。
その線に、斜めに、一本、引いた。
『…きいて、いい?』
「いいよ」
『なにが、わかったの』
ウィラは、リーネの隣に、しゃがんだ。
「ミラベルは、粒の中じゃなくて、数の中に、いたの。父さんも。…毎朝、あたしたちが、言ってた」
リーネは、少し、考えた。
それから、外套の前から、粒を、出した。三年、握ってきた粒だった。
『…じゃあ、おじさんは、名前の中にも、いるね。石の、名前』
「うん」
『じゃあ、粒は、水に、返しても、いなくならない』
「いなくならない」
リーネは、粒を、握った。それから、ゆっくり、うなずいた。
『あたしも、わかった』
その日の夕方、帝国の船が、手紙を、運んできた。
窪地の、東の縁から。
字は、ヒルデの、大きな、四角い字だった。
ウィラ・ケインへ。
窪地の海は、縁まで、あと、指の関節、三つ。ベルの言った、三年に、なる。
ヨカは、元気だ。アカリも、シオも。獣は、毎年、来る。わしが、飲み方を、教えている。
ドミニクの船は、帆が、本物に、なった。名前は、まだ、ない。待っている、と、言っている。
オスカが、言えと、言っている。
来て。リーネも。エマも。
ヒルデ・ゾル。字は、わし。
ウィラは、手紙を、ベルに、渡した。
ベルは、読んだ。それから、指を、折った。
「指の関節、三つ。窪地の、上のほうは、広いので、遅いです。…十日です」
リーネが、指を、折った。
『十日後』
「十日後」
二人の声が、そろった。
機械が止まってから、千三百三十八日目の、夕方だった。
第三十二章 了