海壁

第十四章

待つ座り方

挿絵:待つ座り方

次の朝、ニコは、窪地の縁の、乾いた塩の上に、腹ばいになっていた。

両手のひらを、地面に、ぺたりと、つけて。目を、閉じて。

「…聞こえる?」

ウィラが、隣に、しゃがんだ。

『聞こえる。…とん、とん、って。東のほう。ずっと下』

ニコは、目を、開けなかった。

『トンが、掘ってる。ドンが、水を、押してる。コンが、冷やしてる。ナナが、道を、教えてる』

「すごいね」

『すごくない。聞いてるだけ』

ニコは、少しだけ、笑った。


船は、縁に、降りたままだった。グレイの船。提督の船。灰色の船。

誰も、帰るとは、言わなかった。

昼、ベルが、水たまりの岸に、杭を、打った。水には、触れないように、長い竿の先で。

『測ります。…海は、測るものですので』

夕方、ベルが、竿を、引き上げた。

『減っていません。増えても、いません』

「日に、焼かれないの?」

『焼かれています。でも、まわりの塩が、溶けて、沈んで、底を、ふさいでいます。…しみこむぶんが、少ないです』

ベルは、竿の印を、指でなぞった。

『待てます。何日でも』


三日目の昼、空から、グリフォンが、降りてきた。

ロルフだった。

『孤独の大地から、手紙です』

ウィラは、手紙を、開いた。エミルの字だった。大きくて、まっすぐで、ところどころ、紙を、破りかけていた。

ウィラへ。

母さんは、元気。毎朝、名前を呼んでる。呼ぶと、なんだい、朝から、って言う。

一滴のこと。ジェロームさんが、気がついた。管の水は、東の砂の下の海の水。母さんが浴びたのと、同じ水。ナナが行っても、塔の下から、毎日、流れてくる。

ジェロームさんが、硝子の細い管で、一滴ずつ、取ってくれる。あたしの手は、濡れない。

母さんは、文句を言いながら、飲んでる。しょっぱいって。

昨日、母さんが、坑のじいさんに、手紙を書けって、怒鳴った。字は、あたしが書いた。

エミル・ハーグレイヴ。

ウィラは、手紙を、胸に、押し当てた。

「…怒鳴った」

ロルフが、うなずいた。

『怒鳴っておられました。塔の上まで、聞こえました』


四日目の夜、ウィラは、縁に、座っていた。

背中を、灰色の船の、下ろした梯子の柱に、つけて。膝を、抱えずに。

いつの間にか、隣に、人が、並んでいた。

リーネ。オスカ。ベル。ガルド。

それから、ドラグと、チビを抱いたロズリン。

誰も、膝を、抱えていなかった。

ガルドが、ふん、と、鼻を、鳴らした。

『ケインの座り方が、増えたな』

「待つときの、座り方だもん」

ウィラは、窪地の暗がりを、見ていた。

「イーダさんも、こうやって、待ってた。麦を、育てながら。お母さんが、起きるのを」

『一〇六番も、そうでした』

ベルが、言った。

『一番は、その横に、座るのが、好きでした』

「知ってる」

ウィラは、笑った。

「いつも、父さんの肩に、頭、のせてた」

ロズリンが、ドラグの肩に、そっと、頭を、のせた。

ドラグが、ちらりと、ロズリンを、見下ろした。

「…なんだ」

『練習です』

「何の」

『待つときの、座り方の』

ドラグは、何も、言わなかった。そっぽを、向いた。耳の先が、赤かった。

リーネが、ウィラの肩に、頭を、のせた。

それから、オスカが、リーネの反対側の肩に、自分の頭を、のせようとして、首を、かしげた。

『…あたし、頭、のせる、やり方、知らない』

「のせればいいの」

リーネが、言った。

「ごつんって。…ねえちゃんは、いつも、ごつんって、してた」

オスカは、そっと、リーネの頭に、自分の頭を、ごつんと、当てた。

『…ごつん』


五日目の夜、ニコの顔が、こわばった。

ウィラは、ニコの横に、しゃがんだ。

「どうしたの」

『…音が、遅くなった』

ニコは、両手を、地面に、押しつけていた。

『とん、と、とんの、あいだが、長い。…トンが、疲れてる』

「…まだ、遠いの?」

『分からない。…でも、まだ、掘ってる』

ニコの指が、塩を、つかんだ。

『がんばれ。…がんばれ、トン』


六日目の夜明け前、ウィラは、目を、覚ました。

船の下で、誰かが、泣いていた。

ニコだった。

ニコは、縁の塩の上で、両手を、地面に、つけたまま、動かなかった。肩が、震えていた。

ウィラは、梯子を、駆け下りた。

「ニコ」

ニコは、顔を、上げなかった。

『…聞こえない』

小さな声だった。

『夜中から、ずっと。とん、も、こん、も。…何も、聞こえない』

ウィラは、ニコの横に、膝を、ついた。それから、自分も、両手のひらを、地面に、当てた。

冷たい塩だった。

何も、聞こえなかった。

東の空が、白くなりはじめていた。

機械が止まってから、二百五十二日目の、夜明けだった。

第十四章 了