海壁

第二十五章

ドンの胸

挿絵:ドンの胸

その夜、詰め所に、みんなが、集まった。

ドラグ。ロズリン。グロム。ガルド。ベル。オスカ。ニコ。ミラ。ウィラと、リーネ。

ニコが、ドンの言ったことを、もう一度、話した。

東から、渇いた獣の、大きな群れ。窪地の海の匂いを、嗅いで。

「着くのは、いつ」

『ナナは、十日くらいって。…ドンが、二晩、歩いたから。あと、八日くらい。…でも、もっと、早いかもしれないって』

グロムが、黒の書に似た帳面に、書いた。

ドラグが、腕を、組んだ。

「行くのは」

『オスカと、ヨカ』

オスカが、言った。開いたままの両手を、膝の上に、置いて。

「ヨカを、どうやって、運ぶの。水路いっぱいだよ」

ウィラが、訊いた。

ニコが、少し、考えた。それから、言った。

『ドンの、中に、入れる。…ドンの体は、海の水だから。孤独の大地から、窪地まで、海を、体ごと、運んだでしょ』

誰も、すぐには、言葉が、出なかった。

『ヨカなら、平気だって。…ドンの中は、海の匂いが、するって』


ウィラは、行くと、言った。剣は、オスカと、半分こだった。

ベルも、行くと、言った。

部屋の隅で、ミラが、溝のついた木の指を、開いて、閉じた。

『ミラも』

「ミラ?」

『群れ、多い。…ミラの目、お腹の粒、見える。光ってる、いちばん、多いの、見つける』

ミラは、ウィラを、まっすぐ、見た。

『前に、見つけた。鳴き霧の、真ん中。…マーロウの、前で』

「…うん。知ってる。父さんから、聞いた」

ミラは、木の指を、閉じた。それで、決まった。


リーネが、ウィラの袖を、引いた。

『あたしも』

「だめ」

言ってから、ウィラは、口を、押さえた。

水路の夜に、一人で、だめって、言わないと、約束したばかりだった。

リーネは、外套の前から、エステルの灯りを、出した。

『次に、会うとき、返すの。…エステル、窪地に、いるんでしょ』

ニコが、うなずいた。セラフィナの船も、まだ、窪地の縁に、浮いているのだった。三つの家の船乗りに、船を覚えさせる番を、将軍に、言いつけられて。

ウィラは、長いこと、リーネを、見ていた。

「…セラフィナさんの、船から、降りないって、約束できる? 獣が、来たら」

『できる』

「エステルと、一緒に、上にいる。…下は、あたしたちの番」

『上が、あたしたちの、番』

リーネが、言い直した。ウィラは、少しだけ、笑った。

「二人で、決めた」

『二人で、決めた』


ドラグは、黙っていた。

ロズリンが、チビを、膝の上で、揺らしていた。

「…おれは、行かん」

ドラグが、言った。

「横に、おる、と、言うた」

ロズリンは、帳面を、閉じた。

『隊長』

「なんだ」

『行ってください』

ドラグが、ロズリンを、見た。

『群れの前に、オークが、何人、要るか。…隊長が、いちばん、知っているでしょう』

「おまえと、チビは」

『壁の中にいます。グロムさんと、ガルドさんが、います』

ロズリンは、帳面の端を、指で、なでた。毎朝の線が、三十本、並んでいた。

『横に、座るのは、帰ってきてからで、いいです。…そのぶん、長く、座ってください』

ドラグは、しばらく、何も、言わなかった。

チビが、ドラグの指を、つかんだ。

「…毎朝、言う」

ドラグは、低く、言った。

「向こうで。小さい声で。…聞こえんでも、言う」

『線は、引きます。聞こえなくても』

ロズリンは、眼鏡を、押し上げた。

『記録係ですので』


次の日の夕方、浜に、舟が、一艘、運ばれてきた。

ガスと、オットと、サムが、かついできた。

『拾い屋の舟だ』

ガスは、舟の縁を、三本の指で、叩いた。

『乾いた底の、三隻の船から、拾った板で、作った。四人で、拾った板だ。…あいつと』

ウィラは、舟の板を、見た。古い、黒い板だった。三百年前の船の、板だった。

「…ありがとう、ガスさん」

『ドンの手のひらに、乗せとけ。じかに、触るんじゃねえぞ。…浸けたら、始まるからな』


日が沈むと、ドンが、壁の根の、排水口の前に、膝を、ついた。

光る手を、排水口の前の、海に、沈めた。

オスカが、壁の上から、壁の石に、手のひらを、当てていた。壁の根の、水路のほうへ。

「ヨカ。…行くよ」

しばらく、何も、起きなかった。

それから、排水口の暗がりが、青く、光った。

白いものが、ゆっくり、出てきた。水路いっぱいの、大きな体。腹の奥の、青い光。白い根が、何十本も、水の中で、揺れていた。

ヨカは、ドンの、光る手のひらへ、すべりこんだ。

ドンの腕を、のぼっていった。光る水の中を、青い光が、一つ、上へ。

胸の、真ん中で、止まった。

ドンの胸の光と、ヨカの青い光が、重なった。二つの心臓が、一つの体の中で、脈打っているように、見えた。

『…あったかいって』

ニコが、言った。

『ドンも。ヨカも』


ドンが、もう片方の手のひらを、浜に、下ろした。手のひらに、海の水が、溜まっていた。

ガスたちの舟が、その水の上に、浮かべられた。

ウィラが、乗った。リーネ。オスカ。ベル。ニコ。ミラ。最後に、ドラグが乗ると、舟が、ぐらりと、沈んだ。

『隊長、重い』

「…知っとる」

壁の上に、街の者が、並んでいた。ロズリンが、チビを、抱いていた。

ドンが、立ち上がった。

舟が、空へ、持ち上がった。壁の上よりも、高く。

リーネが、首の角笛を、持ち上げた。今度は、やめなかった。

一回、長く、吹いた。

壁の上から、グロムの角笛が、一回、長く、返ってきた。

ドンは、東へ、歩きだした。

機械が止まってから、二百八十四日目の、夜だった。

第二十五章 了