第三十一章
ミラが、縛った

次の朝、マーロウは、壁のてっぺんに、手のひらを当てた。
「本部。根の一本が、街のほうへ戻ってきてる。…なんでだ」
壁の声は、すぐに答えた。
耳のある者の下へ、戻しています。
「ルーカスか」
ストラウドの耳は、根の音を聞きます。聞かれると、根の場所が、あなたがたに分かります。分かれば、止められます。
ですから、耳のある者を、退けます。
壁の上に、風が吹いた。乾いた底の塩の匂いがした。
「退けるって、どうする」
根の手で、つかみます。孤独の大地へ運ぶ手は、ここにはありません。ですから、地面の下へ、運びます。
マーロウの横で、ルーカスが、壁の石を見下ろしていた。顔が、白かった。
『…僕のせいで』
「おまえが聞いたから、ここまで来るのが分かった」
マーロウは、言った。
「聞いてなけりゃ、夜中に、いきなり地面から手が出てた。…おまえは、役に立った」
ルーカスは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
『逃げません』
「逃げてもいいぞ」
『逃げたら、クララに、兄さんは聞いただけで逃げた、と書かれます。…妹は、昔から、字が小さくて、しつこいんです』
ミラベルが、横で、吹きだした。
「根の手なら、グリムの手だ」
ドラグの小屋で、マーロウは、壁の図の上に、指を置いた。
「手首の交差を、もう一つ増やして縛れば、指は開いたまま、閉じなくなる。ネルの留めだ」
『ネルは、畑です』
ロズリンが、言った。
「ミラがいる」
ミラが、戸口に、しゃがんでいた。木の指を、開いて、閉じた。指の腹に、ネルが刻んだ溝が、三本ずつあった。
『小さい手なら、縛れる。…根の口で、四十、縛った』
「針金がいる」
『拾い屋の倉に、銅の針金なら、山ほどあるぞぉ!』
ガスが、戸口の外から、叫んだ。
『拾って、二十年、売れなかったやつだ!』
根は、二日かけて、戻ってきた。
ルーカスが、夜ごと、耳で追った。海の底の下を、壁の下を、街の下を。東門の外へ。
二日目の夜、ルーカスが、言った。
『…丘です。白い花の木の、下』
ルーカスは、その丘の上に、立っていた。自分から、そこに立つと決めていた。人のいる通りの下に、根を来させないために。
丘の上に、灯りが、いくつも集まった。
ドラグと、壁の兵。ミラベルとマーロウ。ベル。銅の針金の束を抱えたガスと、オットと、サム。
ウィラも、いた。灯りを掲げて、二つの白い石の前に立っていた。
「下がってろ」
マーロウが言うと、ウィラは、首を振った。
『父さんと母さんの、前だもん』
それから、少しだけ、声を落とした。
『…いちばん前には、立たない。ミラの、灯り持ち。それなら、いいでしょ』
マーロウは、少しのあいだ、ウィラを見ていた。
「…ミラから、離れるな」
夜更けに、丘が、揺れた。
白い花の木の根元から、少し離れた草の上が、盛り上がった。土が割れた。
手が、出てきた。
錆びない金属の手が、八つ。人の背丈ほどの大きさで、指を広げて、地面の下から、突き出してきた。手首で、腱が交差していた。グリムのやり方だった。
八つの手が、いっせいに、ルーカスのほうへ伸びた。
ミラベルが、ルーカスの前に、跳んだ。左の金属の手で、一つ目の手首をつかんだ。右の手で、二つ目の手首をつかんだ。
二つとも、一センチも、前へ出られなかった。
「根は、切るな!」
マーロウが、叫んだ。
「中は、海の底の下の水だ! ここで噴いたら、丘ごと、浸かる!」
『切らない! 押さえるだけ!』
残りの六つを、ドラグと、壁の兵たちが、組みついて押さえた。オークの腕で、指を、一本ずつ、こじ開けて。
ミラが、ミラベルのつかんでいる手首に、跳びついた。
ウィラが、その横で、灯りを掲げた。
ミラは、木の指で、手首の中の筋を、探った。二本。溝のある指の腹が、錆びない金属の上で、滑らなかった。二本の筋を、もう一度、交差させた。ガスの差し出した銅の針金を、巻いた。二回。右に、三回、ねじった。ネルに教わったとおりに。
手の指が、ぱっと、開いた。開いたまま、閉じなくなった。
「ひとつ」
ウィラが、数えた。灯りを、次の手首に向けた。
ミラは、跳んだ。
二つ。三つ。四つ。
七つ目を縛ったとき、東の空が、白みはじめていた。
八つ目の手首に、ミラが、最後の針金を巻いた。
八つの手が、指を開いたまま、動かなくなった。ルーカスの足もとの、ほんの一歩手前で。
『…ミラが、縛った』
ミラが、言った。
ウィラが、灯りを下ろして、ミラの頭を、両手でわしわしと撫でた。
「ミラ、すごい」
ミラは、何も言わなかった。木の指を、一度、開いて、閉じた。
そのとき、丘の上の誰かが、東の空を指さした。
朝焼けの中に、船が一隻、浮かんでいた。
提督の船だった。
舳先に、小さな人影が、二つ並んでいた。一人は、先の丸くすり減った鉄の棒を、高く上げていた。
第三十一章 了