第二十八章
土を掘る獣

提督の船が東へ発った日の夜、ルーカスが、グロムの兵の詰め所から、走ってきた。
東門の脇の、ドラグの小屋の戸を、叩いた。
中で、ドラグと、マーロウと、ロズリンが、壁の図を広げていた。ミラベルは、マーロウの膝を枕に、うとうとしていた。
『何か、来ます』
ルーカスは、息を切らしていた。
『根の音じゃありません。…もっと浅いところ。乾いた底の下を、壁のほうへ、掘ってくる音です』
「獣か」
『たぶん。…壁の、南の、排水口のあったあたりの、下へ』
マーロウは、立ち上がった。ミラベルが、目を覚ました。
排水口のあったところの奥は、壁の根だった。八十年ぶんの、濡れた燃料の粒が並ぶ、細長い広間。根元を割れば、街ごとほどける場所だった。
「…粒を、食いに来てる」
マーロウは、言った。
「濡れた昔の粒が、あそこには、数えきれないほど並んでる。獣にとっちゃ、餌の倉だ」
ドラグが、牙をむいて、立ち上がった。
排水口のあったところには、ミラベルが前に四角く切った穴が、板で塞いであった。
ベルが、先に来て、板の前に立っていた。
『中で、音がします。南の棚の、奥の壁から』
ミラベルが、板を剥がした。
マーロウと、ミラベルと、ミラが、中へ入った。ドラグが、穴の縁に立った。ベルの横に。
「兵は、穴の外だ」
ドラグは、言った。
「中で暴れたら、根が割れる。割れたら、全部なくなる。…おれたちは、出てきたものの前に立つ」
グロムと、オークの兵たちが、穴の外で、輪になった。グロムが、隊長の背中を見て、少しだけ、胸を張った。
壁の根の広間は、前と同じだった。
真ん中の水路を、海の水が北へ流れていた。両側の棚に、濡れた粒が、どこまでも光っていた。
南の奥の壁が、内側へ、ふくらんでいた。
ぱらぱらと、石が落ちた。
壁の向こうから、何かが、顔を出した。
錆色の板が、瓦のように重なった頭。目はなかった。頭の先に、ぐるりと輪になった歯が、並んでいた。前脚は、太いシャベルのようだった。
南の岩で見た獣とも、東の谷の獣とも、違った。土を掘るための形をしていた。
獣は、棚に、頭を突っこんだ。
歯の輪が、濡れた粒を、ざらざらと、飲みこんだ。飲みこむたびに、獣の喉の皮の下が、白く光った。
『腹、光ってる』
ミラが、言った。
『いっぱい、食べてる。…食べたぶん、ぜんぶ、濡れてる』
「腹は割るな」
マーロウは、言った。
「ここで割れたら、棚ごと、ほどける」
ミラベルが、獣の頭を、左の金属の手でつかんだ。棚から、引き剥がした。
獣は、暴れた。シャベルの前脚が、棚を叩いた。粒が、ばらばらと、水路に落ちた。
『棚が!』
「外へ出せるか」
『出す』
ミラベルは、獣の頭を抱えたまま、広間を走った。自分より大きな体を、引きずって。前脚が、壁を引っかいた。
通路を駆け上がった。
穴の縁で、ドラグとベルが、左右に分かれた。
ミラベルは、獣ごと、穴から飛び出した。
乾いた底の上に、獣が転がった。
獣の喉が、上を向いた。喉の奥が、白く光った。噛み砕いた粒が、中で、ほどけかけていた。
獣は、喉の奥から、白い光の線を、吐こうとしていた。
その先に、壁があった。壁の根があった。
「壁の兵!」
ドラグが、吠えた。
「前に立て!」
オークの兵たちが、獣と壁のあいだに、飛びこんだ。背中を並べて。ドラグが、その真ん中に立った。
ミラベルが、獣の上顎をつかんで、持ち上げた。喉の光が、空のほうを向いた。
白い線が、夜空に向かって、まっすぐ抜けていった。
マーロウは、鉤で手のひらを突いた。獣の、白く光る喉の皮に、血の手を押しつけた。
皮の濡れが、粒になって、ぱらぱらと落ちた。光が、すっと消えた。
ミラベルが、剣を抜いた。首の付け根から、一度だけ、振った。
獣は、動かなくなった。
兵の輪が、ゆっくり、ほどけた。
ドラグは、最後まで、輪の真ん中に立っていた。
ロズリンが、縄梯子の上から、降りてきた。ドラグの前に、立った。
「…立っとった」
ドラグが、言った。
「兄貴なら、そうした。…おれも、そうする」
ロズリンは、何も言わなかった。帳面を開いて、書いた。
帝国暦三四九年、夏。壁の根に、土を掘る獣。隊長、壁の兵とともに、壁の前に立つ。
それから、ドラグの手を、取った。
ルーカスが、穴の縁で、壁に耳を当てていた。
しばらく、そうしていた。
それから、顔を上げた。
『…まだ、います』
ルーカスは、言った。
『乾いた底の下に。…三つ。壁のほうへ、少しずつ』
第二十八章 了