第十八章
婚礼の日

三日目の日暮れ、畑の草が、いつもより早く光りはじめた。
そう見えただけかもしれない。マーロウには、そう見えた。
一の墓の前に、人が集まっていた。
戻りはじめた十二の家の者たち。名前を呼ぶ側に立った、施療所の兵だった者たち。ハンナとアディ。オーウェンとネル。ティルダと、毛布にくるまれて座ったマリエ。ケイルと、提督と、ニコと、ラーナ。双子のヨルンとユラン。クララ・ストラウドも、椀を置いて、列の端に立っていた。
その向こうでは、二万人が、光る草の中で、静かに眠っていた。
マーロウは、墓の板の前に立った。一、と刻んだ板だった。
「兄貴。…婚礼だ」
それだけ言った。言ってから、少し、照れくさくなった。
ミラが、光る草で編んだ輪を、二つ、持ってきた。
一つを、ミラベルの頭に。縫った頬の横で、草が、白く光った。
もう一つを、ロズリンの頭に。ロズリンは、眼鏡を押し上げて、じっとしていた。
『ほどけなかった』
ミラが、言った。
『三十回、やり直した』
「…よくやった」
トビーが、細い布を二本、持ってきた。灰色の、施療所の服の裾を裂いて作った布だった。両端に、小さな結び目が、三つずつ並んでいた。
『マーシュの家の、結び目です』
トビーは、布で、ドラグの左手とロズリンの右手を、ゆるく結んだ。それから、マーロウの左手と、ミラベルの右手を。
『ほどけても、三つ、残ります』
アディが、パンを二つ、両手で持ってきた。まだ、温かかった。
ハンナが、横で言った。両端から割って、大きいほうを取ったほうが、家の財布を握る、と。
ドラグとロズリンが、一つのパンを、両端から持った。
ドラグは、力を入れなかった。ロズリンが、両手で、引いた。
ロズリンの手に、大きいほうが残った。
「…財布は、書記だな」
ドラグが言うと、火のまわりで、笑い声が上がった。
『当然です。…書記ですから』
ロズリンは、大きいほうのパンを、帳面と一緒に、胸に抱えた。
マーロウとミラベルが、もう一つのパンを持った。
ミラベルは、金属の左手で持っていた。力を入れすぎないように、そうっと引いた。
パンは、まんなかで、ぱかりと割れた。
ちょうど、半分だった。
「半分ずつだ」
『…半分ずつ』
ミラベルは、自分の半分を、胸に抱えた。それから、少しだけ、泣きそうな顔で笑った。
オーウェンが、ミラベルの横に立った。
何も言わずに、交差の線を刻んだ木の輪を、ミラベルの右の手首にはめた。赤い紐の上から。
ネルが、もう一つの輪を、マーロウの左の手首にはめた。やはり、赤い紐の上から。
オーウェンは、マーロウの顔を、長いこと見ていた。
『…グリムの嫁だ。大事にしろ』
「する」
『泣かせたら、指を一本、削りに来る』
「削られる前に、泣かせない」
オーウェンは、ふん、と鼻を鳴らして、下がった。ミラベルは、もう、泣いていた。
ケイルが、両手を、口のまわりに当てた。
『婿!』
ドラグが、ぎくりとした。
それから、観念したように、胸いっぱいに息を吸った。
「ロズリン!」
一度目の声は、畑の端まで届いた。
「ロズリン!」
二度目の声は、たぶん、その向こうまで届いた。眠っている二万人の寝息が、ほんの少しだけ、揺れた気がした。
三度目で、ドラグは、声を落とした。ロズリンの前に、しゃがんで。ロズリンの顔の高さで。
「…ロズリン」
ロズリンは、帳面を開いた。花嫁の輪を頭にのせたまま、書いた。ドラグに、見せた。
隊長が横に座っている日は、全部、書きます。座っていない日は、ありません。
ドラグは、字を読むのが遅い。ゆっくり、最後まで読んだ。
「…おまえが書くのをやめる日まで、横に座っとる」
ドラグは、言った。
「やめたあとも、座っとる」
ケイルが、顔を覆っていた。笑っているのか、泣いているのか、分からなかった。
ミラベルが、マーロウの袖を引いた。
『坊やも』
「おれは、オークじゃない」
『坊やも』
マーロウは、ため息をついた。それから、息を吸った。
「ミラベル!」
一度だけ、叫んだ。
それで、終わりにした。
ミラベルの前に、向き直った。
三日、考えた言葉だった。
「毎朝、おまえに一滴やる。毎晩、今日もいた、と数える」
マーロウは、言った。
「おまえが飽きるまで、やる。…飽きても、やる」
ミラベルは、両手で、口を押さえていた。
それから、手を離して、言った。
『ミラベル・グリム・ケインです。坊やの嫁です』
一度、息を吸った。
『これから毎朝、名乗ります。坊やが、覚えるまで』
「もう覚えてる」
『じゃあ、忘れないように』
ミラベルは、マーロウの首に、腕を回した。トビーの布が、二人の手のあいだで、引っぱられた。三つの結び目は、ほどけなかった。
ティルダが、灯りの下で、帳面に書いていた。花嫁のロズリンの代わりに。
帝国暦三四九年、夏。一の墓の前。婚礼、二組。
ドラグ・モーテンセン、ロズリン・ヴェイク。
マーロウ・ケイン、ミラベル・グリム・ケイン。
火のまわりの者、百四十六名。笑った者、百四十六名。
ティルダは、筆を止めた。
それから、一行、足した。
笑った者のうちに、隊長を含む。監督官の娘を含む。監督官を含む。
ミラベルが、その帳面を覗きこんで、声を上げて泣いた。
マーロウは、ミラベルの頭の上の、光る草の輪を、指でまっすぐに直した。
「今日も、いた」
『いた』
ミラベルは、泣き顔のまま、笑った。
『今日が、いちばん。…明日も、いちばん、更新するから』
第十八章 了