海壁

第三十章

白い花の木の下で

挿絵:白い花の木の下で

三日後の日暮れ、東門の外の丘に、街じゅうの人が上がってきた。

白い花の咲く木の下に、白い石が、二つ並んでいた。曲がった字が、刻んであった。

エマ・ドーセット。歌が、下手。

ハロルド・ドーセット。歌が、もっと下手。

石のすぐ前に、ウィラが立っていた。いちばん前に。

その横に、帳面を抱えたミア。後ろに、ガスとオットとサム。ニムが、杏の籠を抱えていた。ヴェスタが、根の酒の瓶を提げていた。ガルドは、左手を腰に当てて、木の横に立っていた。グロムと壁の兵たちが、丘の縁に、ずらりと並んでいた。

ドラグとロズリンが、並んで座っていた。ロズリンは、今日は、帳面を開いていなかった。書くのは、ミアの番だった。

干し肉屋の女が、娘の手を引いて、上がってきた。熱を出して、施療所へ運ばれかけた、あの五つの娘だった。娘は、ミラベルを見つけると、手を振った。

『おばちゃん、名前、長いひと!』

ミラベルは、手を振り返した。

ルーカスが、丘の下の道で、壁のほうを向いて立っていた。耳を、壁に向けたまま。今夜の見張りを、自分から、引き受けていた。


ミラベルは、ベルと並んで、石の前に立った。

頭には、光る草の輪の代わりに、白い花の枝を編んだ輪が、のっていた。ミアとウィラが、朝から編んだものだった。

右の手首に、赤い紐が二本と、木の輪。

マーロウが、その前に立った。左の手首に、赤い紐と、木の輪。

ウィラが、二つの石のほうを向いた。

「母さん。父さん」

ウィラは、言った。

「連れてきたよ。…父さんと、ミラベル」

それから、振り向いて、マーロウに頷いた。


ミラベルが、先に、言った。

『ミラベル・グリム・ケインです』

一度、息を吸った。

『坊やの、嫁です。畑で、一回、言いました。…嬢ちゃんと、嬢ちゃんのお父さんと、お母さんの前で、もう一回、言います』

ミラベルは、二つの石に向かって、頭を下げた。

『これからも、毎朝、名乗ります。坊やが、忘れないように』

マーロウは、ミラベルの前に、向き直った。

「同じことを言う」

マーロウは、言った。

「変えたら、おまえが、ずるいって言うからな」

ミラベルの口の端が、上がった。

「毎朝、おまえに一滴やる。毎晩、今日もいた、と数える」

マーロウは、ミラベルの目を見て、言った。

「おまえが飽きるまで、やる。…飽きても、やる」

そのとき、ごとん、と、音がした。

みんなが、振り向いた。

ウィラの足もとで、木の桶が、転がっていた。井戸の水が、草の上に、こぼれていた。

ウィラは、空になった手を、胸の前で、握っていた。

『…母さんは、嬉しいとき、桶を落としたんだって』

ウィラは、言った。泣きながら、笑っていた。

『父さんが、最後に言ったの。エマに、桶を落とさせてくる、って。…だから、代わりに、落とした』

ミアが、帳面を抱えたまま、ウィラに飛びついた。

ガスが、空を見上げて、声を上げて泣いた。

ミラベルは、ウィラのところへ走った。マーロウも、走った。三人で、こぼれた井戸の水の上で、ひとかたまりになった。


ガスが、根の酒の杯を、高く上げた。

「一回目! マーロウとミラベルに!」

みんなが、飲んだ。

「二回目! エマとハロルドに!」

みんなが、白い石に杯を向けて、飲んだ。

「三回目!」

ガスは、杯を上げたまま、しばらく、何も言わなかった。

三回目の話は、いつも、長かった。一度、短くしていたことがある、とガスはマーロウに言ったことがあった。返事がないのが、きつかったから、と。

「…三回目は」

ガスは、言った。

「この街に、今夜いない、全部のやつに。畑のやつにも。都のやつにも。谷のやつにも。それから、いなくなったやつにも。一も、ケイルも、ハロルドも。…それから、それから」

ガスの三回目は、長かった。

誰も、止めなかった。

ベルが、ミラベルの横で、杯を両手で持っていた。

『今日は、嬉しい、と、かなしい、が、両方あります』

「両方あるの」

ミラベルは、ベルの肩に、頭をこてんとのせた。

「それで、いいの」


ミアが、帳面に、書いていた。

帝国暦三四九年、夏。白い花の木の下、エマ・ドーセットとハロルド・ドーセットの前で。

マーロウ・ケイン、ミラベル・グリム・ケイン、二度目の婚礼。

桶が、一つ、落ちた。

その夜更け、丘の下の道から、ルーカスが、上がってきた。

祝いの火のそばで、マーロウを見つけて、まっすぐ来た。

『…すみません。今夜のうちに、言っておきます』

ルーカスの顔が、白かった。

『海の底の下の根が、十二本のうち、一本だけ、止まりました。…向きを、変えています』

「どっちへ」

『街のほうへ。…この丘の、下のほうへ、戻ってきます』

第三十章 了