海壁

第二十四章

重い棺

挿絵:重い棺

『…ああ』

ケイルの唇が、動いた。

『見上げとる。…おまえを』

グレゴールの顔が、くしゃりと歪んだ。

「将軍」

『ええ顔だ。…下から見ると』

ケイルの目が、ゆっくり、横へ動いた。ドラグが、膝で這って、兄の横に来ていた。

「兄貴」

『…遅れんかったな。おまえは』

「兄貴が、早すぎるんだ」

ドラグの声が、割れた。

ケイルは、少しだけ、口の端を上げた。それから、目を、グレゴールに戻した。

『パン。…おれのぶん。上着の、内側に』

「将軍」

『余った。…食え』

ケイルの目が、閉じた。

それきり、開かなかった。

麦を薙ぎ倒した風が、やんでいた。倒れた麦の上に、夕日の最後の光が、斜めに差していた。


ミラベルは、マーロウの前で、両腕を広げたまま、立っていた。

腕が、下ろせずにいた。

マーロウは、その腕を、そっと、下ろしてやった。

『…あたし、坊やの前に、跳んじゃった』

ミラベルの声が、震えていた。

『ケイルのほうじゃなくて。…考える前に、坊やのほうに』

「跳んでも、間に合わなかった」

マーロウは、言った。

「一息もなかった。…誰が跳んでも、同じだ」

『一番強いのに』

ミラベルの右目から、涙が、ぼろぼろと落ちた。

『あたし、一番強いのに』

マーロウは、ミラベルを、胸に抱えこんだ。金属の腕と、肉の腕が、マーロウの背中にまわった。ミラベルは、声を上げて、泣いた。

ロズリンが、落ちた帳面を拾っていた。拾ったまま、開かなかった。ドラグの背中に、額を押し当てていた。

ミラが、少し離れたところで、硝子になった地面を、じっと見ていた。見るのが仕事の子だった。見て、いた。


次の日、都の東の野で、ケイル・モーテンセンの葬式をした。

二度目の葬式だった。

一度目は、位を返した将軍として、議会が出した。棺は、空だった。

今度は、提督が出した。

提督は、昨日の丘の上に、墓を掘らせた。麦の見えるところだった。ドンの座る野の、手前だった。

棺を担いだのは、四人だった。ドラグと、提督の兵が二人と、グレゴール。

グレゴールの背中には、厚く布が巻かれていた。翼のあった場所から、まだ、血が滲んでいた。担ぐなと言われても、聞かなかった。

丘の坂を、四人で、ゆっくり上った。

途中で、グレゴールが、小さく言った。

『…重い、です』

一度目の葬式で、空の棺を担いだのも、グレゴールだった。軽くて、担ぐのが楽だった、と、都の塔でケイルに言った男だった。

ドラグは、前を向いたまま、答えた。

「兄貴だからな」


土をかけ終わったあと、ドラグは、兄の上着を、グレゴールの前に差し出した。袖の短い、弟の上着だった。

内側に、布の包みが、一つ、残っていた。

「兄貴の、言い残しだ」

ドラグは、言った。

「食え」

グレゴールは、包みを受け取った。ほどいた。いびつなパンが、一つ、出てきた。昨日のものより、少しだけ、形がよかった。

グレゴールは、それを、ゆっくり、全部、食べた。

食べ終わると、ドラグの前に、膝をついた。

『…私を、殴ってください』

ドラグは、グレゴールを見下ろした。

長いこと、見ていた。

「兄貴は、翼は取るもんじゃない、と言い続けた」

ドラグは、言った。

「その兄貴が、自分の手で、おまえの翼を取った。おまえを生かすためにだ。…おれが殴ったら、兄貴の選んだことに、けちがつく」

グレゴールは、額を、土につけた。

そのまま、動かなかった。

ロズリンが、墓の横で、帳面を開いていた。今度は、筆が止まらなかった。

帝国暦三四九年、夏。都の東の野、麦の見える丘に。

ケイル・モーテンセン。二度目の葬式。今度は、棺が、重かった。

書いたのは、妹。


その夜、ドンの座る野の溝のそばで、マーロウは、ミラベルと並んで座っていた。

ミラベルは、マーロウの肩に頭をのせたまま、ずっと黙っていた。

「…今日も、いた」

マーロウが、言った。

ミラベルは、少し間を置いて、答えた。

『…いた』

声が、かすれていた。それでも、答えた。

そのとき、溝の向こうから、ニコが、マーロウの名前を呼びながら走ってきた。

息を切らしていた。

「どうした」

『トンが、変な叩き方、してる。…ずっと、何回も』

ニコは、地面に、両手をついた。目を閉じた。

『北の、ずっと遠くの海が、苦しがってるって。…地面の下で、何かに、引っぱられてるって』

都から北。ずっと遠く。

海壁の街の海だった。

第二十四章 了