第三十三章
名前の欄

日が沈むころ、塔の前の輪に、灯りが、いくつも、点いた。
粒の灯りだった。帝国の船から、共和国の船から、持ち出してきた灯り。
ウィラは、輪の南に、戻った。リーネの手を、引いて。
「下の子に、名前が、つきました」
ウィラは、言った。声は、もう、震えなかった。
「ナナ。…つけたのは、リーネです。ナナは、待つって。みんなが、決めるまで」
輪の外の何千の人が、ざわめいた。塔のまわりの三つの光る体が、胸のあたりを、ゆっくり、明るくした。
グレイが、輪を、見回した。
『では、決めよう』
グレイは、ヒルデ・ゾルを、見た。
ヒルデは、腕を、組んでいた。長いこと、黙っていた。
それから、言った。
「…子どもの部屋の灯りと、施療所の灯りだけは、消すな」
低い声だった。
「それが、のめるなら。…わしは、反対せん」
グレイが、うなずいた。
『消さん。帝国の蔵にある、印のある粒で、点ける。…十年は、もつ。その十年のうちに、ヨナスの言う、油と、薪が、来る』
ヨナスが、うなずいた。
グレイは、議長を、見た。
エドガーは、短く、言った。
「共和国も、蔵の粒で、井戸の灯りを、残す。…それ以外は、水を、待つ」
グレイは、輪を、ぐるりと、見た。十の家の長たち。十二の家の者たち。白い服の人たち。海壁の街の者たち。輪の外の、何千の顔。
『心臓の部屋の、粒の山を、水に、戻す』
グレイの声が、塩の平野に、響いた。
『明日の、夜明けに。…異のある者は、今、言え』
誰も、何も、言わなかった。
セドリックが、紙を、広げた。ロズリンが、帳面を、開いた。
ロズリンが、書いた。
帝国暦三五〇年、春の終わり。孤独の大地の、塔の下で。心臓の部屋の、粒の山を、水に、戻す。
書き終えて、ロズリンは、顔を、上げた。
『決めた人の、名前を、書きます』
ロズリンは、言った。
『全員の。…一人ずつ、自分の手で』
輪が、しんとした。
最初に、グレイが、帳面の前に、立った。セドリックから、ペンを、受け取った。
グレイ、と、書いた。年寄りの、太い字で。
それから、エドガー・マルム。ヴァレリア・コルト。ヒルデ・ゾル。十の家の長たちが、一人ずつ。
アディ・ノール。エミル・ハーグレイヴ。十二の家の者たちが、一人ずつ。
マルタ。白い服の人たちが、一人ずつ。字を、知らない者は、マルタが、手を、添えた。
ドラグ・モーテンセン。字は、汚かった。でも、まっすぐだった。ロズリン・モーテンセン。その下に、ロズリンが、小さく、書き足した。ケイル・モーテンセン。父と母が、代わりに。
マルゴット・ハイト。ブルーノ・ハイト。布を巻いた腕で、ブルーノは、ゆっくり、書いた。
セラフィナ・ロウ。エステル・ロウ。
ガルド・レイン。ユリウス・ハーン。ジェローム・メレディス。サイラス・メレディス。
ニコ。ベル。
オスカが、ペンを、開いたままの両手で、挟んだ。オスカ、と、書いた。大きな、四角い字で。
輪の外の人たちが、列を、作った。何千人の列が、夜の塩の平野に、長く、伸びた。灯りが、一つずつ、列の先で、揺れた。
夜更けに、リーネの番が、来た。
リーネは、ペンを、握った。舌の先を、少し、出して、一字ずつ、書いた。
リーネ・グリム・ケイン。
それから、ウィラを、見上げた。
『…おじさんの名前も、書いていい?』
ウィラは、すぐには、答えられなかった。
ロズリンを、見た。
「…ロズリン」
ロズリンは、帳面の横で、少しだけ、うなずいた。
『記録係として、…許します』
ウィラは、リーネの横に、しゃがんだ。リーネの手に、自分の手を、添えた。
二人で、書いた。
マーロウ・ケイン。
その横に、リーネが、もう一つ、書いた。小さく。
ミラベル・グリム・ケイン。
「…ミラベルも?」
『ねえちゃんも』
リーネは、言った。
『ねえちゃんがいたら、いちばん最初に、書いてた。…うるさく、数えながら』
ウィラは、笑った。泣きながら。
それから、自分の名前を、書いた。
ウィラ・ケイン。
夜明け前、ウィラは、塔の窓の前で、指を、折った。
「…二百三十一」
リーネが、隣で、同じ数を、言った。
それから、縦穴を、下りた。
三十五周目。底。粒の山の、横。錆びない金属の、丸い床。
グレゴールのグリフォンが、縦穴のまん中に、翼を、広げて、浮いていた。床を開けたら、すぐに、上へ。グレイが、そう決めた。
ウィラは、剣の柄を、握った。
オスカが、その横で、柄の根元を、開いたままの両手で、挟んだ。
半分こ。
床に、切っ先を、当てた。
リーネが、床に、手のひらを、つけた。
『ナナ。…今から、開けるよ』
床の下から、とん、と、一つ、返ってきた。
ウィラは、オスカを、見た。オスカが、うなずいた。
受けるな。横から、当てろ。押すな。線を、引くだけだ。
二人で、引いた。
しゅっ。
錆びない金属の床に、細い、黒い線が、走った。
その線の、ずっと下で、何かが、光った。
機械が止まってから、二百三十五日目の、夜明けだった。
第三十三章 了
第十二巻 了
