第二十五章
イーダの水

次の日の朝、ウィラは、塔の窓の前で、指を、折った。
「…二百一」
二百を越えてから、数えるのが、少しだけ、重くなった。ウィラは、それが、なぜなのか、分からなかった。
昼前、南の空から、グリフォンが、降りてきた。
グレゴールだった。八日ぶりだった。鞍の上で、ぐったりと、前に、かがんでいた。
グリフォンが、白い道に、降りると、グレゴールは、鞍から、滑り落ちるように、降りた。
「グレゴールさん!」
『…ただいま、戻りました』
グレゴールは、膝に手をついて、息を、整えた。
『共和国の都から、四日です。…行きも、帰りも、休まずに』
ベルが、水の椀を、持ってきた。グレゴールは、それを、一息で、飲んだ。
『議長の、お返事です』
グレゴールは、懐から、紙を、出した。共和国の、議長の印。
『みんなで決める場が、開かれるなら、議長ご自身が、いらっしゃいます。…提督の船で』
「議長が、自分で?」
『はい。…それから、トビアス・レンク殿は』
グレゴールは、ウィラを、見た。
『都で、炉の道具と、弟子を、そろえてから、発たれます。それに、十二日。…そのあと、提督の、別の船で、海壁の街へ、まっすぐ。オスカ殿のところへ』
ウィラの手が、止まった。
『十二日後に、海壁の街に、着かれます。部品が、間に合えば、すぐに、と』
ユリウスが、炉のほうから、走ってきた。手に、布にくるんだ、小さな包みを、持っていた。
『できています』
ユリウスは、包みを、ウィラに、見せた。錆びない金属の、小さな部品が、三つ。粒の入れ口と、それを留める輪が二つ。
『ゆうべ、仕上げました。…トビアス殿に、間に合います』
ウィラは、包みを、両手で、受け取った。小さかった。軽かった。
「…オスカの、胸の、なか」
『はい』
グレゴールが、もう一つ、言った。
『議長から、伝言が、ございます。…これは、ウィラ殿に、直接、と』
グレゴールの顔が、少し、固くなった。
『都の、蓋の下の、トンが、動きはじめた、と』
「トンが?」
『蓋の下の水が、七日前から、少しずつ、引いています。…トンは、北へ、向かっているようだ、と。都の、地面の下を』
ウィラは、ベルを、見た。ベルも、ウィラを、見ていた。
「北…? 都の北には、何が、あるの」
グレゴールは、首を、横に、振った。
『議長にも、分からない、と。…ただ、七日前、というのが』
グレゴールは、塔を、見上げた。
『この塔の、心臓の部屋の戸が、開いた日と、同じころです』
夕方、ウィラは、決めた。
「海壁の街に、帰る」
みんなの前で、言った。
「部品を、持って。オスカのとこへ。…トビアスさんが着く前に、帰る」
グレイが、うなずいた。
『話し合いは、二十九日後だ。それまでに、戻ってこい』
「戻ってくる。…リーネも、連れて、戻ってくるかも」
ガルドが、腕を、組んだまま、言った。
『リーネに、見せてやれ。…おまえが、振れるようになった剣を』
「振ってないよ。線を、引いただけ」
『同じことだ』
ガルドは、ふん、と、鼻を鳴らした。
『おれは、半年かかった。おまえは、四十日だ。…ミラベルが、見たら、うるさかったろうな』
ウィラは、笑った。それから、少しだけ、泣きそうになった。
「…うん。すごく、うるさかったと、思う」
ベルと、ガルドと、ユリウスが、一緒に、行く。ロルフも。グレゴールは、休んでから、あとを、追う。
ジェロームとサイラスは、残る。グレイと一緒に、縦穴の字を、写す。話し合いの日のために。
発つ前の夜、ウィラは、塔の東の水路へ、行った。
マルタが、水路の縁に、座っていた。イーダの白い根が、水の中で、ゆらゆらと、揺れていた。
『帰られるのですね』
「うん。…すぐ、戻ってくるけど」
マルタは、小さな瓶を、ウィラに、差し出した。硝子の瓶。中で、澄んだ水が、揺れていた。
『イーダの水です。…ウィラ殿が、最初に、落とした粒の』
ウィラは、瓶を、受け取った。
しょっぱくない水。
「…リーネに、あげる」
ウィラは、瓶を、胸に、抱えた。
「リーネね、前に、井戸から、最初に出た水を、瓶に入れて、ミラベルの石に、持ってきたの。…見せたかったんだって」
マルタは、少しだけ、笑った。
『では、その子にも、見せてあげてください。…水が、戻る日の、最初の水です』
機械が止まってから、二百五日目の夜だった。
第二十五章 了