海壁

第三十一章

輪

挿絵:輪

昼過ぎ、塔の前の白い道に、大きな輪が、できた。

グレイが、輪の北に、立っていた。その横に、セドリック・ヴォルク。紙の束を、抱えて。

帝国の、十の家の長たち。グレイの兵に、囲まれていた。いちばん前に、白髪まじりの三つ編みの、オークの女。

共和国の議長、エドガー・マルム。静かな顔の男。その横に、提督ヴァレリア・コルト。

十二の家の者たち。アディ。エミル。マティアス。オーウェン。イルマ。ペトラ。ヘルミーナ。ベルタ。ヨナス。ゲルダ。

白い服の人たち。マルタが、いちばん前に。

海壁の街から、ドラグと、ケイルを抱いたロズリン。少し離れて、セラフィナとエステル。マルゴットと、両腕に布を巻いたブルーノ。

輪の外に、人が、何千も、いた。

塔のまわりに、光る水の体が、三つ。黙って、立っていた。

ウィラは、輪の南に、立っていた。帳面を、両手で、持って。横に、剣を挟んだオスカ。うしろに、リーネと、ベルと、ガルド。

地面の下から、ときどき、とん、と、音がした。


『読んだ者から、話せ』

グレイが、言った。

ウィラは、帳面を、開いた。

声が、震えた。一行目で、つっかえた。リーネが、うしろから、外套を、つかんだ。

ウィラは、息を、吸いなおした。

読んだ。帝国暦八年、冬。人が、渇いて、死んでいく。十二人で、計算機を、作る。

帝国暦二十九年、春。作り直さない人を、少しだけ、残す。水が戻る日のための、控え。

帝国暦四十八年、秋。西の海に、壁を、建てる。人を、守るために。

帝国暦五十九年、春。海壁の役目を、変える。海を、人から、守る壁。

帝国暦六十八年、夏。原型、イーダ・ケイン。名前の欄は、空ける。

それから、底の、粒の山のこと。

読み終えたとき、輪の中は、静かだった。


最初に、口を開いたのは、オークの女の長だった。

「ゾルの家の、ヒルデ・ゾルだ」

低い声だった。

「ゾルの家の船を出したのは、わしだ。三つの家で、決めた。…それは、認める。裁かれる」

ヒルデは、輪を、見回した。

「だが、言っておく。帝都の灯りは、四つに一つ、消えた。冬が来れば、もっと消える。施療所で、灯りのない夜に、死ぬ者がいる」

ヒルデは、塔を、指さした。

「あの山は、百年ぶんの灯りだ。…水に戻せば、その百年は、二度と、戻らん」

誰も、すぐには、答えなかった。


ヨナスが、輪の中に、一歩、出た。草の匂いのする男だった。

『水が戻れば、草が、生えます』

ヨナスは、静かに、言った。

『草が育てば、実が、なります。油が、しぼれます。木が育てば、薪が、とれます。…灯りは、点きます。遅れて、ですが』

「何年、遅れる」

『分かりません。十年か、二十年か』

ヒルデは、鼻で、笑った。

「二十年、暗がりで、待てと言うのか」

そのとき、マルタが、前に、出た。

白い服の裾が、揺れた。

『私たちは、言われたことしか、しない者でした』

マルタは、ヒルデを、まっすぐ、見た。

『灯りの下で、言われたとおりに、粒を、運びました。何年も。…喉が、乾いていても』

マルタの声は、小さかった。輪の端まで、届いた。

『灯りより、先に、水を、飲みたいです。…それが、私が、自分で、決めた、最初のことです』


議長のエドガーが、口を、開いた。

「共和国の都では、水は、一人一日、小さな杯に、底が見えるほどだ」

静かな声だった。

「私たちは、人を、畑に寝かせて、粒にしてきた。…それを、やめると決めたのは、去年だ。やめた分だけ、灯りは、減った」

エドガーは、提督を、見た。ヴァレリアが、うなずいた。

「共和国は、水を、選ぶ」

輪が、ざわめいた。

グレイが、ドラグを、見た。

『海壁の、隊長』

ドラグが、ロズリンの横で、腕を組んだまま、言った。

「海壁は、人を守る壁に、戻した。…おれの壁は、そっちだ」

グレイが、ヒルデを、見た。

ヒルデは、唇を、噛んでいた。


そのとき、地面が、鳴った。

どおん。

足もとの白い道が、揺れた。塔の窓が、がたがたと、鳴った。

どおん。どおん。

とん、とん、では、なかった。叩くのでは、なかった。下から、何かが、ぶつかっていた。

塔のまわりの、三つの光る体が、一斉に、塔のほうへ、身を、傾けた。

ドンの手のひらの小舟から、ニコが、叫んだ。

『ウィラ! 下のが…!』

ニコの声が、裏返っていた。

『下のが、泣いてる! みんなが、上で、話してる声が、聞こえるのに、自分のことは、誰も、呼んでくれないって!』

どおん。

輪の外で、誰かが、悲鳴を、上げた。

リーネが、ウィラの外套から、手を、離した。

前へ、出た。輪の、まん中へ。

小さな体で、三つの光る体と、何千の人の前に、立った。

「あたしが、行く」

リーネは、言った。

「あたしが、名前、つける。…あたしの、番だから」

機械が止まってから、二百三十四日目の昼過ぎだった。

第三十一章 了