海壁

第四章

三晩目

挿絵:三晩目

次の日の昼、壁の根の広間に、みんなが、集まった。

ドラグ。ガルド。グロム。グレゴールとロルフ。セラフィナ。ベル。ウィラ。

広間の奥には、本部が八十年かけて並べた粒の棚が、まだ、半分、残っていた。水路の縁の小さな屋根の下で、オスカが、何もない空を、挟んでいた。

「旗のない船が、欲しがるもんは、二つだ」

ドラグが、言った。

「棚の粒か。…剣か」

『両方でしょう』

セラフィナが、答えた。

『あの船は、ハイトの家の船です。長は、帝都で、縄についています。…残った者は、主の言っていた蔵の話を、まだ、信じているはずです』

「蔵の話?」

『孤独の大地の、錆びない戸の向こうに、三百年ぶんの粒が、眠っている、と。…帝都の広間で、長が、そう言いました』

「…ここの棚の、何百倍か」

ドラグは、棚を、見た。

ベルが、水路の先を、指さした。水路は、壁の根の排水口を抜けて、海へ、つながっていた。

『排水口は、海の側に、開いています。ヨカの水を流すために、去年の夏の終わりに、板を外したままです。人が、這えば、通れます』

「上からじゃなく、下から、来るってことか」

『船は、壁の上に、火を、落とします。みんなが、上を見ているあいだに、下から、来ます。…私なら、そうします』

ドラグは、しばらく、水路を、見ていた。

「壁の上は、おれと、壁の兵だ。空は、グレゴールとロルフ。…下は」

ドラグが、ウィラを、見た。

ウィラは、剣の柄を、握っていた。布を巻いた手で。

「前に、立つのは、おまえか」

『…うん』

ドラグは、ふん、と、鼻を鳴らした。

「なら、うしろは、おれが、立つ。…壁の、上でな」

セラフィナが、小さな袋を、開けた。乾いた砂が、入っていた。

『ほどきは、濡れていなければ、進みません。火が落ちたら、水ではなく、砂を。…帝都で、ヴァルターが、そうしました』


次の日、日が沈むころ、リーネが、納屋の戸口で、ウィラの袖を、つかんで、離さなかった。

『あたしも、行く』

「だめ。リーネは、ロズリンの横」

『数えるの、だれが、するの』

「…ロズリンのとこで、数えてて。朝まで。朝になったら、あたし、帰ってくるから」

リーネは、唇を、とがらせた。それから、外套の前から、握った手を、出した。

印のない粒が、一つ、のっていた。

『これ、持ってく?…おじさんの』

ウィラは、首を、横に振った。

「リーネが、持ってて。…なくさないで」

ウィラは、自分の首の袋に、触れた。中に、ミラベルの最後の一粒が、入っていた。

「あたしは、こっち。…二人とも、一緒に、いるから」

ロズリンが、ケイルを抱いて、うしろに、立っていた。リーネの肩に、手を、置いた。

『ウィラ。…帰ってきたら、帳面に、書きます。したことを』

「うん。…ちゃんと、書いて」


夜が、更けた。三晩目の夜だった。

月は、なかった。

壁の根の広間には、灯りが、二つだけ、点いていた。オスカの屋根の下と、棚の前に。

ウィラは、水路の縁に、立っていた。鞘を外した剣を、右手で押すように、左手を添えて。ガルドが、その横に、太い棒を、左手一本で、提げていた。ベルは、水路の先の、暗がりを、見ていた。

長い時間が、たった。

上のほうで、角笛が、一回、長く、鳴った。

船だ。

続けて、二回、短く。

火だ。

壁の上で、何かが、割れる音がした。どん、と、壁が、揺れた。広間の天井から、砂が、ぱらぱらと、落ちてきた。ドラグの怒鳴り声が、遠く、聞こえた。

「砂だ! 水は、かけるな! 砂を、かぶせろ!」

ベルが、言った。

『…来ます。下から』

水路の水が、揺れた。

排水口のほうから、赤い光が、近づいてきた。

水の上に、網が、浮かんでいた。細い銅の糸を、何百本も編んだ網だった。糸の結び目ごとに、小さな硝子の玉が、ついていた。その玉が、一つずつ、赤く、光りはじめていた。

網のまわりで、水が、しゅうしゅうと、湯気を上げた。

ガルドが、低く、言った。

「硝子の玉の中に、粒だ。…水が、しみこんで、ほどけとる」

『網が、燃えてるの?』

「燃えとるんじゃない。焼けとる。…あれで包まれたら、骨まで、焼ける」

網のうしろから、人が、上がってきた。

濡れた黒い服の男たちが、五人。水路の縁に、手をかけて、這い上がった。口を、もぐもぐと、動かしていた。

目が、青く、光った。

噛む兵だった。

その五人のうしろから、もう一人、ゆっくりと、上がってきた。

痩せて、背の低い男だった。黒い髭を、細く、編んでいた。両耳に、硝子の耳飾り。中で、粒が、光っていた。

男は、広間を、見回した。棚を。オスカを。それから、ウィラの手の剣を。

『ハイトの家の船頭、ドミニク・フラーだ』

男は、笑わなかった。

『ユリウスの帳面に、書いてあった。海壁の根に、本部の粒が、八十年ぶん。…錆びない戸を開ける剣は、刃が、この街へ、持って帰った。帝都じゅうが、知っとる』

「…ここには、何もない」

『一〇六番は、どこだ』

ウィラは、答えなかった。

ドミニクは、ウィラの顔を、しばらく、見ていた。

『いないのか』

「いない」

『…なら、話が、早い』

ドミニクが、手を、上げた。

噛む兵が、網の端を、つかんだ。赤く焼けた網が、水路の上から、ふわりと、持ち上がった。

ウィラの、頭の上へ。

ウィラは、よけなかった。うしろに、オスカの屋根があった。よければ、網は、オスカに、かぶさる。

ウィラは、剣を、両手で、上へ、構えた。

それより先に、ベルが、消えた。

次に見えたとき、ベルは、ウィラの前に、立っていた。両腕を、広げて。

焼けた網が、ベルの両腕に、まともに、かぶさった。

網は、水路の水を、たっぷり、吸っていた。

ベルの腕から、白い湯気が、噴き上がった。

「ベル!」

『…いち』

ベルは、網を、両腕で、抱えこんだ。ウィラのほうへも、オスカのほうへも、一歩も、通さずに。

『…に』

「ベル! 離して!」

ベルは、振り向かなかった。

『やだ、です』

平らな声だった。平らにしようとしている声だった。

やーだ、と、ミラベルが、よく言っていた。ベルは、それを、ていねいに、言った。

『…さん』

湯気が、広間の天井まで、立ちのぼった。

機械が止まってから、百七十七日目の夜だった。

第四章 了