海壁

第六章

光る水

挿絵:光る水

ドミニクは、まっすぐには、来なかった。

五人が、逸らされて、水路に落ちるのを、見ていたからだった。

床を蹴った。壁を蹴った。天井の下の梁を、つかんだ。ウィラの頭の上から、降ってきた。

ウィラは、剣を、上へ、倒した。刃の腹が、ドミニクの靴の底に、当たった。

逸らせなかった。

重さが、ちがった。粒を二つ噛んだ体は、ほかの五人の、倍も、重かった。

ウィラは、床に、叩きつけられた。

ドミニクの手が、ウィラの右の手首を、つかんだ。そのまま、持ち上げた。ウィラの足が、床から、離れた。

『離せ』

ドミニクの息が、熱かった。口の中が、青く、光っていた。

『剣を、離せ。…腕ごと、折るぞ』

「…やだ」

手首が、きしんだ。ウィラは、剣の柄を、握りしめたままだった。

ベルが、消えた。ドミニクの横に、現れた。ドミニクは、空いている腕で、ベルを、払った。ベルの体が、棚まで、飛んだ。粒が、ばらばらと、床に、こぼれた。

ガルドの棒が、ドミニクの背中に、振り下ろされた。棒が、真ん中から、折れた。ドミニクは、振り向きもしなかった。

ドミニクは、ウィラを、水路の上へ、突き出した。

『落とすぞ。刃の子は、水が、嫌いだろう』

ウィラは、下を、見た。

水の中で、ヨカの白い根が、ゆらゆらと、揺れていた。

ウィラは、ドミニクの顔を、見た。

「…あたし、刃の子じゃない」

ウィラは、空いている左手で、ドミニクの、編んだ髭を、つかんだ。

「ウィラ・ケイン。…牛飼いの子で、拾い屋の子」

それから、体を、思いきり、ひねった。水路の縁の、外側へ。

ドミニクの体が、ついてきた。髭を、つかまれていたから。重さが、縁の外へ、傾いた。

ウィラは、そこで、髭を、離した。

ドミニクだけが、水路へ、落ちた。ウィラの体も、縁から、半分、はみ出した。

誰かの指が、ウィラの襟を、つかんだ。縁の内側へ、引き戻した。

ベルだった。ベルは、水路の縁に、腹ばいになって、腕を、伸ばしていた。襟を、指先だけで、つまんで。

『…腕は、水に、入れていません』

「知ってる」


水路の水が、白く、泡立った。

根が、何十本も、ドミニクに、からみついた。ドミニクは、暴れた。十倍の力で、根を、引きちぎった。ちぎれた根の先から、また、根が、伸びた。

根の先が、ドミニクの口の中へ、入った。

青い光が、ほどけるように、消えた。

ウィラは、縁に、膝をついて、それを、見ていた。剣は、握ったままだった。しぶきが、髪に、かかっていた。

ガルドが、折れた棒の残りで、ドミニクの襟を、引っかけた。縁まで、引きずり上げた。ドミニクは、床に転がって、咳きこんだ。目は、もう、光っていなかった。

ガルドが、ウィラの濡れた頭を、見下ろした。

『…しぶきだ。しぶきじゃ、始まらん。浸かってなけりゃな』

「浸かってない。…ベルが、止めてくれた」

ウィラは、自分の手首を、見た。乾いていた。あと、十四日。今度は、数え直さなくていい。


壁の上では、火が、降っていた。

旗のない船が、二隻、低く、海の上を、回っていた。船べりから、壺が、次々に、放られた。壺は、壁の上に当たって、割れて、赤く、燃え上がった。

「砂だ! 水は、かけるな!」

ドラグの声が、壁の上を、走った。壁の兵が、桶の砂を、火に、かぶせた。火は、砂の下で、ぶすぶすと、消えた。

セラフィナが、壁の縁に、立っていた。左手の指先を、口に、含んでいた。

指先から、細い光の糸が、伸びた。

光の糸が、宙を、走った。落ちてくる壺の、縄を、断った。壺は、壁に届く前に、海へ、落ちていった。

一隻の船が、高さを、下げた。排水口の前の、海の上へ。下に潜った仲間を、拾いに来たのだった。

『ドン!』

壁の上で、ニコが、叫んでいた。

『ドン! お願い! あの船、止めて!』

沖の海が、光った。

光る水の体が、立ち上がった。頭も、顔もない。光る水が、人の形をして、海の中に、立っていた。壁と、同じくらいの高さだった。

水の手が、ゆっくり、伸びた。

低く浮いていた船の上に、そっと、かぶさった。

船は、水の手のひらの下で、海の上に、押しつけられた。船の腹の、光の柱が、水の中で、しゅうっと、消えた。船は、沈まなかった。ただ、もう、浮かばなかった。

浮かばなくなった船から、船乗りたちは、海へ、飛びこんだ。浜まで泳いで、壁の兵の前で、手を、上げた。

もう一隻は、光の柱を、全部、下に向けて、東へ、逃げていった。グレゴールとロルフのグリフォンが、そのうしろを、少しだけ追って、戻ってきた。

ニコが、壁の縁から、身を乗り出した。

『ありがとう、ドン!』

光る水の体の、胸のあたりが、ゆっくり、明るくなった。


夜明けに、リーネが、壁の根へ、駆け下りてきた。

ロズリンが、ケイルを抱いて、うしろから、ついてきた。

リーネは、髪から、しずくを垂らしたウィラを見て、立ち止まった。それから、指を、折った。

「ひゃく、ななじゅう、よん」

『…百七十四』

ウィラは、水路の縁に、座りこんでいた。剣を、膝に、横たえて。

ドラグが、壁の上から、降りてきた。すすで、顔が、黒かった。

ドラグは、ウィラの前に、立った。しばらく、何も、言わなかった。

それから、大きな手を、ウィラの頭に、置いた。

ウィラは、びっくりして、見上げた。

「…あいつの、代わりじゃない」

ドラグは、ぶっきらぼうに、言った。

「数にも、入れんでいい。…おれの、一度目だ」

ウィラは、下を、向いた。濡れた前髪から、しずくが、落ちた。

ロズリンが、帳面を、開いた。

帝国暦三五〇年、春。壁の根で。ウィラ・ケイン、ベルと、オスカと、棚を、守る。

機械が止まってから、百七十八日目の朝だった。

第六章 了