海壁

第三十二章

三十隻

挿絵:三十隻

報せを出して六日目の朝、北東の空から、灰色の軍船が来た。

舷側に、硝子の羽根を四十枚、畳んでいた。ヘルンの塔に吊られていた、あの船だった。

舳先に、ベルンハルトが立っていた。そのうしろに、サイラス。サイラスの横で、白い服を脱いだジェロームが、羽根の管を、一本ずつ、確かめていた。

『報せを、読んだ』

ベルンハルトは、光の柱で降りてくるなり、言った。

『頼む、と書いてあった。…港の灯りを残した男に、頼まれた。断る理由が、ない』

「親父さんも、来たのか」

マーロウが言うと、サイラスが、眼鏡を押し上げた。

『父は、この船の、手入れ係でございます。…止まらないように』

ジェロームは、振り向かなかった。けれど、管を確かめる手が、一度だけ、止まった。


八日目の夕方、提督の船が、南の空に浮かんだ。

甲板から、グリフォンの騎兵が、二十騎、飛び立った。舳先に、提督の赤い髪が見えた。

ニコが、光の柱から転がるように降りてきて、ウィラに飛びついた。

『姉ちゃん! 都で、グリフォンの人の報せ、読んだ。だから、来た』

「来ちゃだめでしょ、あんたは」

『来るよ。姉ちゃんが、いちばん前にいるから』

「…馬鹿だな」

提督が、マーロウの前に立った。

『共和国の議会は、九人のうち五人で、決めた。海壁の街の者を、売り物の数に入れない、と。…議長が、最後に、判を押した』

「じいさんは」

『都で、待っている。手が震えるので、船には、乗せなかった』


九日目の夜、ウィラは、樽屋の蔵に、子どもたちを集めた。ミアが、名前を一人ずつ、帳面に書いた。エステルが、いちばん小さな子の手を、握っていた。

オスカが、蔵の戸の前に、両手を広げて、立った。

『ここに、立つ』

エマは、納屋の奥の柱に、つないであった。ウィラが、エマの額の白いぶちに、自分の額を、こつんと当てた。

「朝までに、戻るからね」


十日目の夜明け、東の空が、光った。

光の柱が、何十本も、並んで降りてきた。数えきれなかった。その上に、灰色の船が、三十隻。まん中の一隻が、ひときわ大きかった。

グリフォンの騎兵が、船のまわりを、雲のように回っていた。

海の上を、低く、船から降りた舟が、何十艘も、浜のほうへ、押し寄せてきた。浜の北の端の、草が三本生えたところへ。

大きな船から、拡声の筒の声が、響いた。

「海壁の街に、告げる。帝国の将軍、グレイである」

低く、落ち着いた声だった。

「一〇六番を、渡せ。渡せば、一人も撃たぬ。…渡さねば、壁を越える」

マーロウは、壁の上に立っていた。ミラベルが、その横にいた。

マーロウは、何も言わなかった。

ミラベルが、壁の上から、叫んだ。

『渡さない! あたしの、朝ごはん!』

一拍、静かになった。

それから、三十隻の舷側で、一斉に、硝子の羽根が開いた。


しゅっ、と、空じゅうが鳴った。

ヘルンの軍船が、壁の前に、滑りこんだ。四十枚の羽根が、同時に開いた。見えない刃と刃が、空の真ん中で、ぶつかった。空気が、裂ける音がした。

グレゴールが、鞍の上で、数えていた。

『一つ、二つ、三つ! 右へ!』

五騎と、提督の二十騎が、帝国の騎兵の群れに、突っこんでいった。

浜に、舟が着いた。帝国の兵が、何百と、砂の上に飛び降りた。

ドラグが、壁の上で、声を張った。

「壁の兵! 前に立て!」

グロムが、槍を構えた。オークの兵が、壁の階段の前に、並んだ。

ミラベルが、壁から、浜へ、飛び降りた。

兵の列の中に、突っこんだ。銃が、次々と、曲がって、落ちた。兵が、次々と、砂の上に、転がった。一人も、斬らなかった。

それでも、兵は、減らなかった。舟は、次から次へと、着いた。

壁の南の端で、大きな音がした。

帝国の船の一隻が、硝子の羽根を、壁の角に、まとめて撃ちこんでいた。石が、崩れた。

壁に、穴が、開いた。

兵が、穴へ、殺到した。

マーロウは、壁の上で、その穴を見ていた。穴の向こうに、樽屋の蔵の屋根があった。

そのとき、ニコが、壁の石に、耳を押しつけて、叫んだ。

『来た!』

「何が」

『海から! ずっと南から、ずっと、歩いてきた!』

海が、盛り上がった。

壁の前の、沖の水が、ゆっくり、立ち上がった。

光る、水の体。四十メートルを、超えていた。

機械が止まってから、六十五日目の朝だった。

第三十二章 了