海壁

第十四章

樽

挿絵:樽

グレゴールの紙を、みんなで囲んだ。

「樽の中は、海の水だ」

マーロウが言うと、詰め所の空気が、固くなった。

ウィラが、机の端を、握っていた。父さんの最後を、思い出している顔だった。

マーロウは、ゆっくり続けた。

「だが、ここは、海のそばだ。浴びても、海のそばにいるかぎり、進まない。三か月、切らさなければ、戻る。…荒れ地の連中は、それを知らない」

『じゃあ、樽は、怖くないの?』

「冷たいだけだ。ここにいるかぎりな」

ドラグが、腕を組んだ。

『それでも、壁の上の前には、オークが立つ。人間は、下がれ。浴びんで済むなら、それがいい』

グロムが、黙ってうなずいた。

「そうだな」

ウィラが、顔を上げた。

『子どもは、樽屋の蔵に、集める』

みんなが、ウィラを見た。

『父さんが…ハロルドの父さんが、決めてたやり方。獣の出る夜は、子どもを、壁から遠い蔵に集めて寝かせるって』

「…ハロルドの、やり方か」

ミアが、帳面を開いて、うなずいた。

『書いてある。あのとき、私が書いた』

「オスカ。蔵の前だ」

『…ここに、立つ』


船をどうするか、は、グレゴールが言った。

『船の筒は、壁に届く高さまで、降りてきます。そこまで降りれば、一番の足なら、光の柱を登れる。…でも、ハース議員は、畑の船のことを、聞いています。今度は、降りてきません』

「じゃあ、どうやって、上がる」

『私が、運びます』

グレゴールは、ミラベルを見た。

『あのグリフォンなら、三人までは、乗せられます。一番を、船の上まで』

ミラベルが、にっと笑った。

「翼のない人の、うしろに乗るの、初めて」

『私も、一番を乗せるのは、初めてです』

「決まり!」

ロルフが、戸口で、手を挙げた。

『近衛の四騎は、私が止めます。引き返せの合図は、隊長に習いました。…隊長のうしろで、私が、合図します』


夜、納屋の干し草の上で、ミラベルが、マーロウの手のひらを、じっと見ていた。

『あさって、坊やを取られそうになったら、あたし、全部の力、出していい?』

「二滴目、やる」

『…坊やの手のひら、また、切るの、やだ』

「切るのは、おれの仕事だ」

ミラベルは、マーロウの手のひらに、自分の頬をつけた。

『じゃあ、あたしの仕事は、一番、強いこと』

「知ってる」

納屋の奥で、エマが、干し草を噛む音がしていた。


二日後の夜明け、東の空が、光った。

灰色の船が、一隻。光の柱を四本下ろして、低く、ゆっくり、近づいてきた。そのまわりを、グリフォンが四騎、回っていた。

船の下を、乾いた底の上を、人が歩いてきた。九十人ほど。荷車に、樽を積んで。

『来ました』

ルーカスが、壁に耳を当てたまま、言った。

「子どもは」

『蔵に、全部。十一人と、ほかの子も。ミアさんが、名前を数えました』

船の甲板から、樽が、投げ落とされた。

一つ、二つ、五つ。壁の上に、次々と。

樽が割れて、水が、はじけた。前に立ったオークの兵たちが、頭から、それをかぶった。誰も、下がらなかった。

「冷てえな」

グロムが、顔を拭って、言っただけだった。

一つが、風で流れて、うしろに落ちた。

その下に、ガスがいた。

水が、ガスの頭から足まで、ざばりと落ちた。

『うおぉぉっ!』

「ここは、海のそばだ! 進まない!」

マーロウが叫ぶと、ガスは、濡れた頭を振って、叫び返した。

『知ってるよ! 知ってるけどよ! 冷てえんだよ!』

壁の上で、誰かが、吹きだした。緊張していた兵たちの肩が、少しだけ、下がった。


マーロウは、鉤で、手のひらを突いた。ミラベルの唇に、押し当てた。

二滴目だった。

ミラベルの金属の目が、強く光った。

納屋の裏から、グリフォンが、飛び上がった。グレゴールが鞍に、そのうしろに、ロルフ。グリフォンは、壁の上を低く飛んで、ミラベルの頭の上を、かすめた。

ミラベルが、壁を蹴った。

宙で、グレゴールの差し出した腕を、つかんだ。そのまま、ロルフのうしろに、ひらりと乗った。

グリフォンが、三人を乗せて、船へ、まっすぐ昇っていった。

近衛の四騎が、向きを変えて、迫ってきた。

ロルフが、鞍の上で、右腕を、大きく横に払った。

四騎が、ためらった。そのうちの一騎の乗り手が、グレゴールの顔を見た。

『…ヴァーン、隊長』

グリフォンは、四騎の真ん中を、抜けた。

船の甲板が、真下に来た。

ミラベルは、鞍を蹴って、飛び降りた。

甲板に、音もなく、降り立った。

目の前に、議会の服の男が四人。そのうしろに、白い服の男が、一人、立っていた。

機械が止まってから、二十四日目の朝だった。

第十四章 了