第二十一章
硝子の羽根

夜明け前、港の船の船乗りたちは、みんな、船を降りて、家へ帰った。船は、空っぽのまま、崖の下に浮いていた。
サイラスとオスカは、崖の裏の坂を、組合の建物へ登っていった。
『粒の荷を入れる、裏の戸がございます。子どものころ、父の弁当を持って、何度も通りました』
「オスカ。点を、挟んで持ってこい。落とすな」
『落とさない』
残ったのは、マーロウとミラベル、グレゴールとロルフ、グリフォンが二騎。
「で、どうやって上がる」
グレゴールが、炭で、甲板に、船の腹の絵を描いた。
『羽根は、横と上しか、撃てません。真下は、撃てない。…だから、下から行きます』
「上がったら」
『羽根を濡らす水は、船のまん中の樽から、管で、四十枚に送っています。…樽を止めれば、四十枚とも、止まります』
マーロウは、自分の手のひらを見た。
「濡れたものなら、おれの血で、消える」
『はい』
日が昇ると、鉄の塔の軍船が、鎖を外して、浮かび上がった。
舷側の羽根が、ゆっくり、開いた。
しゅっ、と音がした。
グレゴールが、鞍の上で、口の中で数えた。
『一つ。二つ。…三つ』
見えない何かが、空を裂いた。崖の下の、空っぽの港の船の帆柱が、三本、まとめて、すっぱりと切れて、落ちた。
『行きます』
グレゴールのグリフォンが、マーロウを乗せて、飛び上がった。ロルフのグリフォンが、ミラベルを乗せて、続いた。
軍船が、二騎に、羽根を向けた。
しゅっ。
『右へ!』
グレゴールが叫んで、グリフォンが、右へ落ちるように、身をかわした。風の刃が、翼の先を、かすめていった。
しゅっ。
『下へ!』
二騎は、軍船の腹の下へ、潜りこんだ。
羽根の音が、止まった。真下は、撃てなかった。
「ミラベル!」
『はーい!』
ミラベルが、ロルフのうしろから、軍船の腹に、跳びついた。金属の左手の指を、板の継ぎ目に突き立てて、腹を這い上がった。舷側を越えて、甲板に消えた。
すぐに、縄が一本、上から垂れてきた。
マーロウは、グリフォンの鞍から、縄をつかんだ。ミラベルが、上から、一息に、引き上げた。
甲板のまん中に、大きな樽があった。四十本の管が、そこから、羽根へ延びていた。樽のまわりの管が、白く光りはじめていた。
四十枚が、一度に、鳴ろうとしていた。
ベルンハルトが、舵の横に、立っていた。
『やめろ! それを、止めたら』
マーロウは、鉤で、手のひらを突いた。ミラベルの持っていた鉤だった。樽の口に、手を、突っこんだ。
水が、消えた。
樽の中で、水が、粒になって、底に沈んだ。四十本の管の光が、根元から、一本ずつ、消えていった。
羽根が、ぱたぱたと、閉じた。
ベルンハルトは、舵の横で、動かなくなった。
『…一〇六番の女は、化け物だと、聞いていた』
ミラベルが、ベルンハルトの前に、立った。
「ミラベル・グリム・ケイン。化け物じゃない。…嫁。…船、降ろして。ゆっくり。下に、人がいるから」
ベルンハルトは、ミラベルの顔と、閉じた羽根と、マーロウの濡れた手を、順番に見た。
それから、舵を、自分の手で、回した。
船が塔に戻ると、ミラベルは、布を出して、樽の口と、マーロウの手と、甲板に落ちた血を、一滴ずつ、拭いた。拭いた布を、全部、懐に入れた。
『燃やすの。ベルに、怒られるから』
「ベルは、怒らないだろ」
『怒らないけど、じっと見るの。あれ、怒られるより、きつい』
「…そうか」
空から、グリフォンが二騎、降りてきた。ロルフが、鞍の上で、息を弾ませていた。
『三つ、数えられました。…全部』
「…よく数えた」
グレゴールが、そう言って、ロルフの肩を、一つ叩いた。
崖の上の坂を、サイラスとオスカが、降りてきていた。オスカの開いた両手のあいだに、手のひらほどの硝子の筒が、挟まれていた。黒い点が、中で、揺れていた。
『…持ってきた。落とさなかった』
「えらい」
組合の建物の炉で、マーロウは、筒を燃やした。ミラベルが、布を、全部、一緒に放りこんだ。
硝子が溶けて、黒い点が、見えなくなった。
ベルンハルトが、炉の前に、立っていた。
『明日から、あの通りは、また、暗くなる』
「ならない。蔵に、粒が残ってるだろ。あの点が、半月で落とした分が」
ベルンハルトは、黙った。
「それは、あんたのだ。…灯りに使え。一粒で、十年もつ」
ベルンハルトは、長いこと、マーロウを見ていた。
『…貼り紙は、剥がさせる。港じゅうの』
機械が止まってから、三十一日目の朝だった。
第二十一章 了