第三十一章
頼む、と書け

夜、納屋の干し草の上に、小さな灯りを一つ、置いた。
ミラベルが、膝を抱えずに座って、マーロウの顔を、じっと見ていた。
『坊やが、一人で行けば、なんて言ったら、あたし、怒るからね』
「言わない」
『ほんと?』
「前に、怒られた。二度はいい」
ミラベルは、少しだけ笑った。それから、真顔に戻った。
『三十隻って、どのくらい?』
「港の船が、三十だ」
『ふうん』
ミラベルは、指を折って、数えるふりをした。それから、指を全部、開いた。
『あたし、一番強いよ』
「知ってる」
『オスカもいる。グレゴールも、ドラグも、ヴァルターも。…嬢ちゃんも、ベルも、ガスも』
「ガスは、数に入れるな」
『入れるの。三回、乾杯する人だもん』
マーロウは、笑った。
灯りの中で、ミラベルの金属の左手と、肉の右手が、マーロウの手を、一本ずつ、包んだ。
『逃げないで、ここにいる。みんなで、守る。…それで、いい?』
「それで、いい」
『二人で、決めた』
「二人で、決めた」
ミラベルは、マーロウの胸に、額を押しつけた。
『…ちょっと、こわい』
「おれもだ」
『坊やも?』
「こわくないやつは、先に死ぬ。…だから、こわいままでいい」
ミラベルは、マーロウの胸の中で、うなずいた。
納屋の奥で、エマが、干し草を噛む音がしていた。
翌朝、マーロウは、詰め所の机に、紙を広げた。
「グレイの船が来るまで、九日。…できることを、全部やる」
グレゴールが、顔を上げた。
「空の五騎で、報せを運べ。都の提督と議長へ。ヘルンのベルンハルトとサイラスへ。畑の、ネルとヘルミーナたちへ」
『何と』
「海壁の街に、三十隻が来る。来られるやつは、来てくれ、と。…頼む、と書け」
グレゴールは、うなずいた。
『頼まれるな、と、陛下はおっしゃいました』
「頼まれるなとは言われた。頼むなとは、言われてない」
ヴァルターが、壁にもたれたまま、ふっと、息を吐いた。笑ったのかどうかは、分からなかった。
セラフィナが、包帯の手を、机に置いた。
『グレイ将軍への手紙は、私が書きます。…将軍は、陛下の字を、よく知っておられます。陛下の最後のお言葉を、陛下の口ぶりのまま、書きます』
「頼む」
五騎のグリフォンが、昼までに、四方へ飛び立った。
午後、ドラグとグロムが、壁の南の端を、見て回った。石の古いところ。低いところ。
ウィラが、樽屋の主と、蔵の鍵のことを、話していた。子どもを集めるなら、あそこだった。父さんの決めたやり方だった。
ミアが、帳面に、街の子どもの名前を、一人ずつ書き出していた。
オスカは、壁の根の水路で、ヨカの根を、開いた手のひらに乗せていた。
「ヨカ。…船が、来るって。三十」
ヨカが、ふうっと、ふくらんだ。
ガスとオットとサムは、拾い屋の倉から、縄を、ありったけ運び出していた。
『二十年ぶんの縄だ。売れ残りだけどな』
「売れ残りで、十分だ」
『言いやがる』
ガスは、縄の束を、肩に担ぎ直した。
詰め所の窓辺で、ロズリンが、帳面の上に、手を置いていた。ドラグが、その横で、壁の図を見ていた。
「冬の終わりまで、この壁は、もたせる」
『もたせてください。…この子は、この街で、生まれるんですから』
ドラグは、大きな手を、ロズリンの手の上に、重ねた。
夜、壁の上で、ミラベルは、マーロウの肩に、頭をのせていた。
海が、壁のすぐ近くまで、来ていた。乾いた底は、どこにもなかった。
『坊や』
「何だ」
『九日あったら、何回、ちゅうできる?』
「知らん」
『数えるね。…九日ぶん、全部』
マーロウは、ミラベルの頭に、頬をつけた。
「九日で、終わらせない。…その先も、数えろ」
ミラベルは、小さく、うなずいた。
機械が止まってから、五十六日目の夜だった。
第三十一章 了