第十八章
ヘルンの港

港の船は、荒れ地の上を、北東へ飛んだ。
二日目、ミラベルとオスカは、甲板の手すりから、下を見ていた。
乾いた土の上に、ときどき、村があった。石を積んだ家が、十軒、二十軒。そのまん中に、きまって、井戸があった。
井戸のまわりに、人がいなかった。
『水、ないのかな』
「ない。…見れば分かる。桶が、全部、伏せてある」
オスカが、開いた両手を、手すりの上で、重ねた。
『ヨカの、弟か、妹。…あそこにも、いるといい』
「いるようにするの。坊やが、そう言ったもん」
ミラベルは、マーロウのほうを振り向いた。
『ね、坊や』
「ああ」
三日目の夕方、グレゴールのグリフォンが、船の上に降りてきた。
『ヘルンが、見えます。明日の昼には』
「親父さんは」
『港の南の、古い船渠に、入っていきました。煙が、一本、上がっています。夜も、消えません』
「馬で東へ逃げたはずだ」
『塔に、馬を置いて、港の船の小さいほうで、先に北へ戻ったようです。港の船乗りが、言っていました』
「…知ってる場所か」
サイラスが、眼鏡を押し上げた。
『父の、仕事場です。…私が子どものころから、ずっと、あそこでした』
四日目の昼、港の船は、ヘルンの港に降りた。
ヘルンは、崖の上の町だった。崖の下は、昔、海だった。今は、乾いた底に、錆びた船の骨が、何百と並んでいた。崖の上には、帝国の船を吊るす、鉄の塔が、いくつも立っていた。
塔には、船が、ほとんど吊られていなかった。
『飛べる船が、減っているのです』
サイラスが、言った。
『粒が、高くなりましたから。…港の灯りも、三つに一つしか、点けていないそうです』
通りには、牛を引いた人の列が、延びていた。列の先に、帝国の、牛を入れる箱が、二つ。
マーロウは、外套の頭巾を、深くかぶっていた。ミラベルも、オスカも、金属の腕を、外套の下に隠していた。
牛の列に並んだ男たちが、低い声で、話していた。西の壁の街に、鍵の男がいるらしい。一滴で、牛百頭だと。いや、港の商人が、もっと出すらしい。
通りの角の壁に、紙が一枚、貼ってあった。
一〇六番、マーロウ・ケイン。その血、一滴に、牛百頭。
ミラベルが、紙の前で、立ち止まった。
「…見るな」
『…坊やの名前、こんなとこに、書いてある』
「行くぞ」
『やだ』
ミラベルは、紙を、壁から、きれいに剥がした。四つにたたんで、懐に入れた。
『坊やの名前は、あたしが、壁の上で、覚えてるの。こんなとこに、貼っとくもんじゃない』
サイラスは、通りを一本外れた、坂の途中の家の前で、足を止めた。
戸が、閉まっていた。窓の板が、打ちつけてあった。
『私の家です。…母は、私が十のときに、亡くなりました。父は、それから、ずっと、船渠で寝泊まりしておりました』
サイラスは、戸に、手を触れなかった。
『家に帰ってこない父のところへ、毎晩、弁当を届けたのは、私です。船渠の戸を叩くと、父は、振り向かずに、そこに置け、と言いました。毎晩、同じ言い方で。…私が家を出て、本部の記録係になるまで』
サイラスは、打ちつけられた窓の板を、見上げていた。
『父の口癖でした。手入れというのは、壊れる前に、止まらないようにすることだ、と。…止まらないように。止めないように、ではなく』
ミラベルが、サイラスの顔を、じっと見ていた。
「…サイラス、それ、さびしかった?」
サイラスは、少し、驚いた顔をした。
『…分かりません。そういうことを、誰かに訊かれたのは、初めてでございます』
夜、港の南の端に、古い船渠があった。
崖を削った大きな穴に、屋根が架けてあった。屋根の隙間から、煙が一本、上がっていた。
戸の隙間から、灯りが漏れていた。
マーロウは、戸の隙間に、目を寄せた。
中は、広かった。錆びた船の骨組みが、半分組まれたまま、放っておかれていた。
その奥に、硝子の管が、何本も、組み合わされていた。人の背丈ほどの、細い塔のような形。上の口から、樽の水が、少しずつ、流しこまれていた。
管のまん中に、小さな、黒い点が、一つ、浮いていた。
白い服の男が、その前に、立っていた。背中を、こちらに向けて。
管の下の口から、何かが、ことり、と落ちた。
小さく光る、米の半分ほどの、粒だった。
機械が止まってから、二十九日目の夜だった。
第十八章 了