第三章
三回目は、長く

昼過ぎ、ルーカスが、壁の下から走ってきた。
『何か、来ます。乾いた底の下を、壁の南へ。…浅いところを、掘ってくる音です』
「根の広間か」
『たぶん。棚の、南の奥のほうです』
マーロウは、立ち上がった。
壁の根には、本部が八十年かけて並べた燃料の粒が、まだ、濡れたまま、棚に残っていた。機械が止まっても、粒は、そこにあった。
「粒を、食いに来てる」
排水口のあったところの穴は、板で塞いであった。その前に、槍を持ったグレゴールが立っていた。ベルが、その横にいた。
中で暴れさせたら、根が割れる。引きずり出す。マーロウがそう言うと、ミラベルが、オスカを見た。
「オスカ。競争」
『負けない』
二人は、板を剥がして、同時に穴へ飛びこんだ。
水路の水は、流れていなかった。溜まったまま、静かだった。両側の棚の粒だけが、どこまでも光っていた。
南の奥の壁が崩れて、錆色の板を瓦のように重ねた頭が、突き出ていた。目はない。頭の先に、輪になった歯。前脚は、太いシャベルのようだった。
獣は、棚の粒を、ざらざらと飲みこんでいた。喉の皮の下が、白く光っていた。
「腹は割るな! 食ったぶん、全部、濡れてる!」
ミラベルが、右の前脚をつかんだ。オスカが、左の前脚を、開いた両手で、挟みこんだ。
二人は、声をそろえて、同じ動きで、獣を棚から引き剥がした。そのまま、通路を、ずるずると引きずり上げた。
穴から、獣が、外へ転がり出た。
獣は、乾いた底の上で、頭を高く持ち上げた。喉の光が、一気に、強くなった。
輪になった歯の奥が、壁と、その前に並んだ兵のほうを向いた。
『光を吐くぞ!』
グロムが、叫んだ。
そのとき、グレゴールが、前へ出た。
翼のない背中で、まっすぐ、獣の顔の下へ走りこんだ。槍の柄を、輪になった歯のあいだに、下から突っこんだ。全身の重さをかけて、柄を、ぐいと押し上げた。
獣の上顎が、空を向いた。
白い光の線が、壁ではなく、空へ、まっすぐ伸びた。
「押さえとけ!」
マーロウは、鉤で手のひらを突いて、獣の喉の、濡れた皮に、押し当てた。
光が、消えた。
ミラベルが、獣の首を、一振りした。
獣は、乾いた底に、長々と伸びた。
グレゴールは、槍を握ったまま、肩で息をしていた。
ドラグが、その前に来た。
「…立っとったな」
『喉が光ったら、上顎を上げろ。隊長に、習いました。隊長が発ってからも、グロムさんと、毎朝』
「習ったからって、走りこめるもんじゃない」
グレゴールは、何か言いかけて、やめた。背中に当てた布の上から、自分の肩に、そっと手を置いた。
壁の上で、子どもたちが、手を叩いていた。グレゴールは、いつもより、ほんの少しだけ、困っていない顔をしていた。
マーロウは、もう一度、穴の中を覗いた。
棚の粒が、奥まで、光っていた。
ロズリンが、横に来て、同じように覗いた。
『八十年ぶんの、粒です。…どれも、もとは、どこかの水でした』
「ヨアの子は、粒を、水に戻す。一粒で、桶一杯」
マーロウは、乾いた底の、ずっと向こうの、細い青い線を見た。
「返してやれる。…ここにある分、全部」
オスカが、開いた両手を、胸の前で合わせた。
『…あたしが、持ってくる。ヨアの子』
夜、市場の真ん中に、火が焚かれた。ニムの杏が山になり、ヴェスタの根の酒の壺が回った。
ガスが、杯を掲げた。
『一回目! 帰ってきたやつら、全員に!』
市場じゅうが、杯を上げた。
『二回目。エマとハロルドに。一に。ケイルに。…ここにいないやつら、全員に』
杯が、静かに上がった。
ガスは、杯を下ろさずに、息を吸った。
『三回目。…名前を、呼ぶ。今ここにいる、全員のだ。呼ばれたら、返事しろ』
ガスは、まず、マーロウの名前を呼んだ。
「いる」
次に、ミラベルの名前を呼んだ。
『いるー!』
オスカ。ミラ。ドラグ。ロズリン。ルーカス。ベル。ミア。オット。サム。ニム。ヴェスタ。ガルド。グロム。グレゴール。干し肉屋の女と、五つの娘。樽屋の蔵に集められていた子どもが、十一人。
ガスは、一人ずつ、呼んだ。一人ずつ、返事が返ってきた。火が、二度、小さくなった。ヴェスタが、二度、薪を足した。
最後に、ガスは、ウィラの名前を呼んだ。
「いる!」
ウィラの声は、市場でいちばん大きかった。マーロウは、ウィラの頭に、手を置いた。二十度目だった。
ガスは、杯を、高く上げた。
『…以上! 長かったろ!』
市場じゅうが、叫び返した。
「長かったー!」
ガスは、にかっと笑って、それから、目のあたりを、腕でごしごしこすった。
『返事があるとな。…長くできるんだよ』
夜更け、マーロウとミラベルは、壁の上に座っていた。
乾いた底の向こうで、細い海が、黒く光っていた。
『坊や。明日、何する?』
「何も」
『何も?』
「何もしない日だ。…おまえ、そういう日、あったか」
ミラベルは、しばらく、指を折って考えていた。それから、その指を、全部、開いた。
『…ない。作られた日から、一日も』
「なら、明日が、一日目だ」
ミラベルは、マーロウの肩に、頭をのせた。
『好き。…何もない日も、好きになる。たぶん、いちばん』
「まだ、来てないだろ」
『来る前から、好きなの。坊やといるから』
マーロウは、ミラベルの頭に、頬をつけた。
『…今日も、いた?』
「今日も、いた。…明日も、いる。何もない日にも、ずっと、いる」
機械が止まってから、四日目の夜だった。
第三章 了