海壁

第二十七章

コン

挿絵:コン

二日後の昼、東の空に、提督の船が浮かんだ。

光の柱で降りてきたのは、提督と、ヨナスと、ニコだった。

ヨナスは、両腕に、壺を三つ、抱えていた。壺の中で、手のひらほどの白いものが、一つずつ、ゆらゆらしていた。

『ヨアが、三つ、くれました。孤独の大地の分と、荒れ地の村の分と、…もう一つは、どこか、要るところに』

「ヘルンだ。北の港だ。灯りが、足りてない町だ」

『なら、ヘルンの分です』

ヨナスは、少し照れたように、大きな手で、壺を撫でた。

『頼まれていません。…でも、草の機嫌を見に行くのと、同じです』

「助かる」

提督が、グロムの牢のほうを、顎で示した。

『牢に、三人いると、隊長から聞いた。私の船で、都へ連れていく。議長の前で、裁く』

「頼む」

『それから、議長からの伝言だ。…海壁の街の者たちに、礼を言う、と。今度は、遅れずに、だそうだ』

マーロウは、一の墓の前で、議長が言った言葉を、思い出していた。礼を言う。遅くなった。

「…あのじいさんらしいな」


ニコは、東門の前で、ガスを探していた。

ガスは、まだ、ときどき、髪を気にしていた。海の水を浴びてから、半月あまり。三か月、この街を離れなければ、戻る。

「ガスさん!」

『おう、坊主。…言ったか。ドンに』

「言った。礼を言いたかった、って。草が生えた、って。海が、一つ分、増えた、って」

ニコは、息を吸った。

「ドン、しばらく、動かなかった。それから、トンが、叩いて、教えてくれた。ドンの返事」

『…なんて』

「礼は、いらない。…海が戻ったら、また、草を、生やしに行く、って」

ガスは、何も言わなかった。

それから、三本の指で、顔を、ごしごしこすった。

『…来るのかよ。あいつ』

「海が戻ったら、って」

『戻るよ。戻らせる。…なあ、坊主』

ガスは、ニコの頭を、三本の指で、くしゃくしゃにした。

『来たら、今度は、礼を言わせろって、伝えとけ。いらねえって言われても、言う』


夕方、オスカが、ニコに、北の氷の口の話をした。

白い手のこと。叩く音のこと。凍らせた点のこと。

ニコは、壁の石に、耳をつけて、じっと聞いていた。

『とん、とん、って、どのくらいの速さ?』

オスカは、開いた手のひらで、壁を叩いてみせた。とん、とん。…とん。とん、とん。

ニコの目が、丸くなった。

『トンより、ちょっと速い。…氷を、叩いてる音だ』

「名前、つけて。ニコに、つけてもらうって、言ってきた」

ニコは、しばらく、考えた。

『…コン』

「コン」

『氷を叩くと、こん、って鳴るでしょ。…ドンと、トンの、きょうだい』

オスカは、開いた両手を、胸の前で合わせた。

「コン。…いい名前」

ミアが、帳面に、書いていた。北の氷の下の海。名前、コン。命名者、ニコ。


翌朝、港の船が、荒れ地の人たちを乗せて、東へ飛び立つことになった。

壺を一つ、荒れ地の村の分を、村の長だという年寄りのゴブリンが、両腕で抱えていた。

ニルスが、その横に立っていた。

『村まで、送ります。それから、都へ。…議長の前で、全部、自分の口で言います。牛百頭なんて、持っていなかったことも』

ウィラが、荒れ地の子どもたちの前に、しゃがんでいた。

「井戸に、水が出たら、牛、飼いなよ。…名前、つけてね。ちゃんと」

いちばん小さな女の子が、うなずいた。それから、ウィラの首に、ぎゅっと抱きついた。

『杏、おいしかった』

「知ってる。この街の、いちばんだもん」

港の船が、光の柱で、浮かび上がった。手すりから、九十人が、手を振っていた。


その夜、市場の真ん中で、ガスが、杯を掲げた。

『一回だけだ。今夜は、一回だけ』

市場じゅうが、杯を上げた。

『ドンに! …礼は、いらねえって言いやがった、あの野郎に!』

「ドンに!」

市場じゅうの声が、夜の海のほうへ、響いた。

ミラベルが、マーロウの腕にしがみついたまま、声がかれるまで、叫んでいた。

ドラグが、杯を上げたまま、横のロズリンの外套の前を、ちらりと見た。ロズリンは、杯の代わりに、水の椀を上げていた。

『…この子が生まれたら、ドンに、会わせたいです』

「会わせりゃいい。草の生えた浜でな」

ドラグは、そう言って、自分でも驚いたように、杯を、一息に空けた。

機械が止まってから、四十三日目の夜だった。

第二十七章 了