海壁

第十三章

塔の下の石の箱

挿絵:塔の下の石の箱

夜明け前、グリフォンは、荒れ地の低い丘の陰に、降りた。

丘の向こうに、帝国の古い見張り塔が、黒く立っていた。上半分が崩れて、石が階段のように欠けていた。

グレゴールとロルフは、丘の上に、腹ばいになった。

塔のまわりに、天幕が並んでいた。焚き火が、十いくつ。その間を、人が歩いていた。

人間。オーク。ゴブリン。みな、痩せていた。着ているものは、乾いた土と同じ色だった。

焚き火の一つのそばで、子どもが二人、空の椀を持って、並んでいた。鍋の底を、大人が、木の匙で、何度もこそいでいた。

兵ではなかった。荒れ地の、村の者たちだった。

「…八十、いや、九十」

グレゴールが、数えた。

塔の横には、灰色の船が一隻、綱で地面につながれて、浮いていた。帝国の船の形だったが、帝国の旗はなかった。舷側に、筒が四本。

『港の船です』

ロルフが、囁いた。

『帝国の港の商人が、古い船を買って、荷を運んでいます。…お金を出したのは、港の人たちだと、聞きました』

船の横に、樽が、何十も積んであった。

甲板の上に、議会の服の男が四人、立っていた。一人は、白い髭で、背が高かった。一人は、まだ若かった。

『白い髭が、ヴィクトル・ハース議員です。四人の、いちばん上。…若いのが、ニルス議員。畑の空で、議長の前から、後ずさった人です』

四人の少し後ろに、もう一人、立っていた。

白い服の男だった。汚れ一つない、白い服。この荒れ地で、そこだけが、清潔だった。

グレゴールは、目を細めた。

「…孤独の大地の、服だ」


塔の下に、石の箱があった。

ロルフは、グレゴールを丘に残して、焚き火の明かりの届かない窪みを伝って、一人で降りていった。

グレゴールは、槍を握って、待った。

戻ってこなければ、それまでだった。ロルフには、戻ってこない理由が、いくらでもあった。

東の空が、白みはじめたころ、ロルフが、窪みから這い上がってきた。

手に、封をした紙を、一枚、持っていた。

『箱に、ありました。近衛あての、次の命令です』

グレゴールが、封を切った。

三日後の夜明け。海壁の街。一〇六番を、生きたまま、船へ。

樽は、壁の上の、人間の多いところへ。

グレゴールは、紙を持つ手を、止めた。

「樽の中は」

『海の水です。…荒れ地の人たちは、浴びた者が十一日で自分でなくなると、信じています。だから、兵より、樽のほうが、怖いんです』

グレゴールは、紙をたたんで、胸の内側にしまった。

「なぜ、持ってきた」

ロルフは、しばらく黙っていた。それから、言った。

『隊長が、壁の兵だ、と言ったからです。…壁の兵が何をするのか、見てみたくなりました』


その朝、海壁の街では、ドラグが、朝飯の席で、椀を三度、落とした。

四度目に落としかけたとき、ロズリンが、ため息をついて、立ち上がった。

『みなさんに、お知らせがあります』

詰め所が、静かになった。

『子どもが、できました。冬の終わりに、生まれます』

一拍おいて、ミラベルが、椅子を倒して、飛びついた。

「赤ちゃん! ロズリンの! ドラグの!」

ウィラとミアが、同時に叫んだ。ベルが、ロズリンの腹を、まじまじと見た。

『…測っても、いいですか』

「まだ、測るほど、ありません」

ガスが、ドラグの背中を、ばしばし叩いた。ドラグは、叩かれるたびに、少しずつ、赤くなった。

『隊長が、赤い。オークが赤くなるの、初めて見た』

ウィラが言うと、詰め所じゅうが、笑った。ドラグは、とうとう、椀を四度目に落とした。


昼過ぎ、ミラベルは、納屋の屋根の上で、膝を抱えていた。

マーロウが、梯子を上がってきた。

『坊や。あたし、産めない』

「知ってる」

『でも、ロズリンの赤ちゃん、抱っこはできる。…エルナの村で、練習したもん』

「上手だった」

ミラベルは、膝に、顎をのせた。

『坊や。…あたしで、よかった?』

マーロウは、ミラベルの横に、座った。膝は、抱えなかった。背中を、屋根の斜めにつけて。

「おまえがいい。おまえ以外、考えたこともない」

ミラベルは、膝を抱えていた腕を、ほどいた。マーロウと同じ座り方で、屋根にもたれた。

『…好き』

「知ってる」

『何回でも言うの。言うと、減らないで、増えるから』


翌朝、東の空から、グリフォンが一騎、降りてきた。

グレゴールが、鞍から降りて、胸の内側から、紙を出した。

『二日後の夜明けです』

機械が止まってから、二十二日目の朝だった。

第十三章 了