第九章
ケインの子の牛

朝の一滴と、うしろから抱く一回を済ませると、マーロウは、腰の鉤を確かめた。
納屋の前で、ガスとオットとサムが、縄と灯りと鉄の棒を担いで待っていた。
『三隻目の船底な。木箱があったとこ。叩くと、音が軽いんだ』
「下に、まだ何かある、か」
『拾い屋の勘だ』
「行くか」
ミラベルが、戸口から、手を振った。
『坊や、お昼までに、帰ってきてね。ニムの杏、四人ぶん、取っとく』
三隻目の船は、乾いた底に、斜めに埋まっていた。池からも水の筋からも、離れていた。足もとは、ひび割れた土だけだった。
船底の、木箱があった場所を、マーロウが鉤の柄で叩いた。
こん、と、軽い音がした。
板の継ぎ目に鉤を差しこんで、こじった。板が一枚、外れた。その下に、四角い穴が、暗く口を開けていた。
中から、ざらざらと、何かが擦れる音がした。
「…いるぞ」
言うのと同時に、穴から、錆色の頭が飛び出した。
犬ほどの大きさだった。瓦のような板を重ねた頭、目はない。輪になった歯。一匹、二匹、四匹、五匹。
オットが、鉄の棒で、一匹目の頭を横から払った。サムが、縄の輪を投げて、二匹目の首に掛け、柱に引き寄せた。マーロウは、三匹目の顎の下に鉤を引っかけて、船の壁に叩きつけた。
四匹目が、マーロウの背中に跳んだ。
振り向く間はなかった。
横から、鉤が一本、その獣の喉に、深く食いこんだ。
ガスだった。右手の、残った三本の指で、マーロウの予備の鉤を、しっかり握っていた。
獣が、床に落ちて、動かなくなった。五匹目は、穴の奥へ逃げこんで、出てこなかった。
ガスは、肩で息をしながら、三本の指を開いて、また握った。
『…三本ありゃ、鉤は握れる』
「知ってる」
『知ってたなら、もっと早く言えよ』
ガスは、笑った。笑いながら、少しだけ、目のあたりを腕でこすった。
穴の底には、樽が三つ、並んでいた。
蓋をこじ開けると、中に、粒が詰まっていた。古い、少し曇った粒だった。印は、今の帝国のものとは、形が違った。
オットが、口笛を吹いた。
『三百年前の粒か。…これ、ニムに持ってったら、店ごと買えるぞ』
「かもな」
サムが、樽の縁に手をかけたまま、黙っていた。
それから、マーロウを見た。
『これも、海の水だったんだよな。もとは』
「たぶんな」
ガスが、頭を、がしがしと掻いた。
『拾い屋が、拾ったもんを、海に返すってのか』
しばらく、四人とも、黙っていた。
ガスが、先に、口を開いた。
『…半分な』
「半分?」
『半分は、ヨカに食わせる。半分は、ニムに売る。拾い屋にも、飯は要る』
オットとサムが、同時に吹きだした。
マーロウも、笑った。
「それでいい」
夕方、ウィラが、木の牛の入っていた小箱を、ロズリンのところへ持ってきた。
「蓋の裏に、何か、彫ってあるの。読めない」
ロズリンは、灯りを近づけて、蓋の裏を、長いこと見ていた。
『字の形が、エリスの板と、同じです。…同じころの字です』
「何て書いてある」
マーロウが訊くと、ロズリンは、ゆっくり読んだ。
『カリン・ケイン。五つ』
部屋が、静かになった。
『三百年前に、この海を渡っていた船に、ケインという名字の、五つの女の子が、乗っていたんです。この牛は、その子のものです』
「エリスの、娘の、娘か」
『分かりません。ケインという名字は、多くありませんが、一つとは限りません』
「…そうか」
ウィラは、木の牛を、両手で包むように持っていた。
『…返したほうが、いい?』
「誰に」
『カリンに。…ケインの子の、牛だから』
マーロウは、ウィラの手の中の牛を見た。色の剥げた、小さな牛だった。
「持ってろ。ケインの子の牛だ。…おまえも、ケインの子だ」
ウィラは、しばらく、黙っていた。
それから、詰め所の壁に、背中をつけて座った。膝を抱えずに。両手で、木の牛を持って。
ミラベルが、その横に、同じ座り方で、どすんと座った。
夜更け、壁の上で、夜の番をしていたグレゴールが、顔を上げた。
東の空だった。星のほかには、何も見えなかった。
グレゴールは、長いこと、耳を澄ませていた。
それから、槍を持ったまま、壁の階段を駆け下りた。詰め所の戸を叩いた。
ドラグが、出てきた。
「どうした」
『羽音です。グリフォンの。…遠くで、一度、大きく回っていきました』
「確かか」
『十年、あの音の中で、暮らしました。聞き違えません』
ドラグは、東の暗い空を見上げた。それから、壁の兵を、二人起こした。
機械が止まってから、十七日目の夜だった。
第九章 了