海壁

第十六章

乾いた血

挿絵:乾いた血

船が降りると、議会の服の男が三人、縄で縛られて、壁の中へ連れていかれた。グロムの牢へ。ヴィクトル・ハースは、最後まで、背筋を伸ばしていた。

近衛の四騎が、納屋の裏に、降りてきた。

乗り手たちは、グリフォンから降りると、グレゴールの前に並んで、膝をついた。

「膝をつくな」

グレゴールが、言った。

「…立て。壁の兵は、立っている」

四人が、一人ずつ、立ち上がった。ロルフが、その端に並んだ。

『…はい、隊長』

ドラグが、腕を組んで、それを見ていた。

「空の番が、五騎、増えたな」

『隊長が、よければ』

「よくないと言ったら、どうする」

『毎朝、頼みに来ます』

ドラグは、鼻を鳴らした。それが、返事だった。


東門の外には、荒れ地の人たちが、座りこんでいた。

ニムが、店の鍋を、全部持って出た。ヴェスタが、根の酒ではなく、豆の汁を煮た。ガスは、まだ髪から海の水を垂らしながら、椀を配って歩いた。

『冷てえだろ、って、顔すんな。冷てえんだよ』

子どもたちが、笑った。

ウィラは、子どもたちの輪の中に座って、木の牛を見せていた。三百年前の、ケインの子の牛。子どもたちは、代わる代わる、それを手のひらに乗せた。

「壊さないでね。…大事な牛だから」

小さな女の子が、両手で、そっと、ウィラに返した。


夕方、マーロウは、グロムの牢の前に立っていた。ミラベルが、横にいた。

鉄格子の向こうで、ヴィクトルが、壁にもたれて座っていた。

「白い服の男のことを、話せ」

『あの男が、話を持ってきたのだ』

ヴィクトルは、目を閉じたまま、言った。

『牢番に、港の金を握らせたのは、あの男の使いだ。…あの男には、牢を出たあと、荒れ地の塔で会った。白い服でな。鍵の血を押さえれば、共和国は、もう粒に困らん、と』

「おれの血は、一滴も、持ってない」

『持っている、と言っていた』

ヴィクトルが、目を開けた。

『塔の下の部屋の、ケインの椅子の窪みから、乾いた血を、削ってきた、と』

マーロウは、自分の左の人差し指を見た。

十二人が席に手を置いたあの日、マーロウだけは、指の血を、窪みに押しつけた。

『ただし、乾いた血は、少ない。一滴にも足りん、と、あの男は言った。だから、生きた本人が要る、と。…わしらは、その話に、乗った』

「…それで、あの網か」

ミラベルが、鉄格子を、両手で握っていた。格子が、少しだけ、曲がった。

『坊やの血を、勝手に。…勝手に、削った』

「ミラベル」

『分かってる。…分かってるけど』

ミラベルは、格子から、手を離した。曲がった跡が、残った。


その夜、詰め所に、ロルフが呼ばれた。

白い服の男の顔を、覚えている者は、ロルフしかいなかった。

『五十は、過ぎていると思います。背が高い。白い髪を、油で、うしろへ撫でつけていました。丸い、小さな眼鏡』

ロズリンが、帳面に書いていた。

「ほかには」

『話すとき、口は、あまり動きません。…目だけが、笑うんです』

戸口で、椅子が、音を立てた。

サイラス・メレディスが、立ち上がっていた。

ロズリンが、何か訊く前に、自分から、部屋の真ん中へ出てきた。乾杯の夜も、市場に来なかった男だった。その男が、眼鏡を外して、ロルフを見ていた。

「…その男の、右手の甲に、火傷の痕は、ありましたか。小さな、丸い」

ロルフは、少し考えて、うなずいた。

『ありました。鞄を抱えていた手に』

サイラスは、眼鏡を、かけ直さなかった。

外したまま、マーロウのほうを向いた。ただの、疲れた男の顔だった。

「知ってる顔か」

『父です』

部屋が、静まり返った。

『ジェローム・メレディス。…本部の、手入れ係でした。三十年。私は、父が役人だった、と申し上げました。嘘ではございません。本当のことを、半分だけ、申し上げておりました』

「どこへ行く。あんたの親父は」

『港へ、参ります。帝国の、北の港。船を作る町です。…私の、生まれた町でございます』

サイラスは、外した眼鏡を、胸のところで、握りしめていた。

『父は、作りかけのものを、放っておけない人です。三十年、止まりかけた機械を、止めずに、手入れしてきた人ですから』

機械が止まってから、二十四日目の夜だった。

第十六章 了