第二十章
港の長

夜が明けると、ヘルンの崖の上の通りが、一本だけ、明るかった。
ほかの通りの灯りは、三つに一つ。その一本だけ、全部の灯りが、点いていた。
『商人組合の通りです』
サイラスが、言った。縛られたジェロームを、横に連れて。
「一本だけか」
ジェロームは、その灯りを見上げていた。
『港の長の、ベルンハルト殿が、二つ目の点を、お使いになっています。組合の蔵の、地下で』
「燃やす」
『そうおっしゃると思いました』
商人組合の建物は、崖の上で、いちばん大きかった。
広間の奥の机に、大きな男が座っていた。五十くらい。首が太く、指に、帝国の印の指輪を三つ。
ベルンハルトは、マーロウを見ても、立ち上がらなかった。
『一〇六番か。貼り紙より、痩せているな』
「点を、返せ」
『買ったものだ。あの男の使いが、半月前に、運んできた。牛百頭より、高くついた』
ベルンハルトは、窓の外を、顎で示した。
明るい通りを、子どもが、走っていた。灯りの下で、母親が、洗った布を干していた。
『あの通りは、半月前まで、真っ暗だった。夜に子どもが外へ出れば、崖から落ちた。去年の冬、二人、落ちた』
ベルンハルトの声は、低かった。怒ってはいなかった。
『あの点が、一刻に十二粒、落とす。それで、あの通りが、明るい。…おれは、三十年、この港の灯りを守ってきた。守れなくなりかけて、守れるものを、買った。それだけだ』
マーロウは、窓の外を見ていた。
ミラベルが、マーロウの袖を、握っていた。
「…それでも、燃やす」
『なぜだ』
「あの点は、海を、粒にする。止まらない。…あんたが死んでも、止まらない。あんたの次のやつが、この港の灯りじゃなく、別のことに使っても、止まらない」
ベルンハルトは、黙った。
『帰れ』
やがて、言った。
『明日の朝までに、港を出ろ。出なければ、塔の軍船を動かす。…おまえたちの乗ってきた船の船乗りは、この港の者だ。撃ちたくはない』
組合の建物を出ると、崖の上の鉄の塔に、大きな船が一隻、吊られていた。
灰色の、古い帝国の軍船だった。舷側に、硝子の粒を並べた板が、何十枚も、羽根のように広がっていた。
グレゴールが、グリフォンから降りて、それを見上げていた。
『…硝子の羽根です』
「おまえの背中にあったやつか」
『同じ工夫です。硝子の中で、粒を濡らして、ほどいて、見えない風の刃を飛ばす。…あの数なら、港の船は、一度で、裂けます』
グレゴールは、自分の背中の、厚い布に、手を当てた。
『将軍が、私の背中から剥がしたのと、同じものです』
「止め方は」
グレゴールは、しばらく、黙っていた。それから、言った。
『硝子の中の粒を、濡らすときに、音がします。しゅっ、と。…その音から、三つ数えるあいだに、刃が出ます。近衛は、その三つで、よけるように、習います』
「三つ、か」
『私も、習いました』
ロルフが、グリフォンの首を撫でながら、言った。
『隊長が、教えてくれました。…三つ、数えろ、と』
グレゴールは、軍船の羽根を、端から端まで、目で数えていた。
「四十枚。…全部が一度に鳴ったら、三つでは、よけきれない」
夜、港の船の甲板で、ミラベルは、明るい通りのほうを、見ていた。
『坊や。…あの通り、明るいね』
「ああ」
『あたし、暗いの、知ってる。ずっと、暗いとこで、お腹すかせてた』
ミラベルは、手すりに、顎をのせた。
『明るいのを、消すの、やだな』
マーロウは、ミラベルの横に、立った。
「消すのは、点だ。灯りじゃない」
『同じじゃん』
「同じにしない」
マーロウは、北の空を見た。星が、冷たく光っていた。
「点を燃やして、そのあとで、あの通りに、ほかの明るさを持ってくる。…何年かかっても」
ミラベルは、しばらく、マーロウの顔を見ていた。
『坊や、そういうとき、かっこいい』
「知らん」
『知ってるくせに』
ミラベルは、マーロウの腕に、額をこすりつけた。
甲板の端で、オスカが、開いた両手を、膝の上で重ねていた。その横で、サイラスが、縛られた父の肩に、毛布をかけていた。
『ベルンハルト殿は、悪人ではない』
ジェロームが、灯りの通りを見ながら、言った。
「存じております。…父さんも、いつも、そうおっしゃいます」
ジェロームは、息子の顔を見て、少しだけ、目を細めた。笑ったのかどうかは、分からなかった。
機械が止まってから、三十日目の夜だった。
第二十章 了