第三十章
三回目の乾杯

昼前、東の空に、帝国の灰色の船が見えた。
光の柱が一本、東門の前に落ちた。
柱から、ウィラが降りてきた。背中に、小さな荷を背負って。
ウィラは、門の前に並んだ顔を、一つずつ見た。ミア。ガス。オット。サム。ベル。ニム。ヴェスタ。ガルド。
それから、その真ん中に立っている、マーロウを見た。
『…なんで、先にいるの』
「走ってきた」
『ずるい』
ウィラは、まっすぐ、マーロウの前まで歩いてきた。走らなかった。胸に、額を、一度だけぶつけた。
それから、ミアのほうへ、走っていった。ミアが、帳面を放り出して、ウィラに飛びついた。二人は、門の前で、ひとかたまりになった。
「エステル、一人で寝たって!」
ウィラが、ミアの肩ごしに、叫んだ。
「灯り、消して。一晩。…言いに来てくれた!」
午後、丘の上の、白い花の木の下へ、みんなで上った。
白い石が、二つ並んでいた。
エマ・ドーセット。歌が、下手。
ハロルド・ドーセット。歌が、もっと下手。
ウィラは、石の前に、膝をついた。
「母さん。父さん」
風が、白い花を、少しだけ揺らした。
「施療所が、止まったよ。帝国の、三十八、全部。早馬で、十日で、全部に届いた。共和国も、もう、畑の人を、買わないって」
ウィラは、背負ってきた荷から、紙を一枚出した。畑で、ヒューゴが書き出した名前の写しだった。
「父さんの名前、ここにある。帝国暦三四五年、夏。ハロルド・ドーセット。…止めた人の、名前も、言っとく」
ウィラは、息を吸った。
「ベアタ。帝国の皇帝。施療所を作った人。止めた人。両方」
ウィラは、紙を、石の前に置いた。小石を一つ、上にのせて。
それから、立ち上がって、下手な子守唄を、一節だけ歌った。
ミアが、横で、泣きながら笑っていた。
マーロウは、ウィラの頭に、手を置いた。十九度目だった。
夜、市場の真ん中に、火が焚かれた。
ニムの杏が、山になっていた。ヴェスタの根の酒の壺が、回っていた。
ガスが、杯を掲げた。
「一回目!」
市場じゅうが、杯を上げた。
「十二人に! …十二のうち、十二だとよ! 知らんやつばっかりだけどな!」
笑い声が、上がった。
「二回目!」
ガスの声が、少しだけ、低くなった。
「エマとハロルドに。一に。ケイルに。…それから、畑で寝てたやつら、全員に」
杯が、静かに上がった。
「三回目」
ガスは、しばらく、杯を持ったまま、黙っていた。
「…明日、塔の下へ行くやつら、全員に。坊や。坊やの嫁。オスカ。ミラ。嬢ちゃん。ルーカス。それから、向こうで待ってるやつら。…帰ってこい。全員で。帰ってきたら、また、ここで、三回やる。三回目は、今日より、長くやる。…以上!」
長かった。
市場じゅうが、杯を上げた。
火のそばで、オスカが、ベルと並んで座っていた。
オスカは、ニムの杏を、開いた両手で挟んで、持っていた。ベルが、それを見ていた。
『つかめないのですか』
「はさめる。…ミラが、教えてくれた」
ベルは、自分の金属の手を見下ろした。それから、杏を一つ、オスカと同じように、両の手のひらで挟んでみた。
『…持てました』
二人は、同じ顔で、同じように杏を挟んで、並んで座っていた。
ミラベルが、少し離れたところで、それを見ていた。
『二人、並んでる』
「おまえを入れて、三人だろ」
『あたしも、入れていいの?』
「姉貴だろ」
ミラベルは、マーロウの袖を、ぎゅっと握った。
夜更け、マーロウとミラベルは、壁の上に座っていた。
海が、黒く光っていた。波の音が、していた。
『明日、行くんだね』
「ああ」
『終わったら、ここに帰ってくる』
「帰ってくる」
ミラベルは、マーロウの肩に、頭をのせた。
『好き。大好き。愛してる』
「三回言うな。ガスか」
『ガスの真似。…三回目は、長くするの』
ミラベルは、少し黙った。それから、小さな声で、言った。
『ずっと、ずっと、ずっと、愛してる。明日も。帰ってきてからも。毎朝』
マーロウは、ミラベルの頭に、頬をつけた。
「…おれも、愛してる。おまえが飽きるまで。飽きても」
『飽きないもん』
「知ってる」
『…今日も、いた?』
「今日も、いた」
二年のうちの、百二十五日目だった。
第三十章 了