海壁

第十三章

グリムの留め

挿絵:グリムの留め

ネルは、女の右の手首の上に、膝をついた。

「ミラ。そっちの手首、押さえて」

ミラが、木の腕で、女の左の手首を地面に押しつけた。

ネルは、女の金属の手首の継ぎ目に、細いへらを差しこんだ。薄い板が一枚、外れた。中に、鋼の筋が並んでいた。二本ずつ、手首のところで、交差している。

「…やっぱり。グリムの手だ」

ネルの声が、低くなった。

「本部は、手を、グリムの型でしか作れない。こいつの腕も、同じだ」

女が、首だけ、ネルのほうへ向けた。

『何、してるの』

「留め」

ネルは、筋を二本、指でつまんで、もう一度、交差させた。

「交差を一つ増やして縛ると、指は、開いたまま、閉じなくなる。子どもの義手の、最初の一年に入れるやつだよ。…物は、持てなくなる。指は、傷まない」

『坊やを、抱っこ、できなくなる』

「そう。それが、狙い」

ミラベルが、女の胸を膝で押さえたまま、肩で息をしていた。唇が、白くなりかけていた。


右の手首が、終わった。女の右手の指が、扇のように開いたまま、動かなくなった。

左の手首に移ったところで、ネルの指が、止まった。

筋が、固かった。本部の新しい金属だった。ネルの指の力では、交差させきれない。

「…くそ」

後ろから、杖の音がした。

オーウェンだった。畑の端から、杖をついて、ここまで歩いてきたのだった。頬は、まだこけていた。

『…貸せ』

オーウェンは、杖を捨てて、ネルの横に膝をついた。義手を削るときの、あの目で、筋を見た。

「親父。指、まだ震えるだろ」

『震える。…だから、おまえが、押さえろ』

ネルが、筋を二本、両手で押さえた。オーウェンが、その上から、交差させた。ゆっくり。震える指で。

ネルが、銅の針金を巻いた。

『二回巻いて、右に三回』

「知ってるよ。親父に習ったんだから」

最後の一ひねりを、オーウェンの指が、した。

女の左手の指が、開いたまま、止まった。

ロズリンの抱えた硝子の板が、光った。

『グリムの手を、確認しました。十二のうち、六』

ミラベルが、女の上から、顔を上げた。

「…あと、六」

声が、かすれていた。

オーウェンは、自分の指を見下ろしていた。

『…誰にも、言われとらん。娘の手が、止まったから、横から出した。それだけだ』

ネルは、何も言わなかった。父親の震える手の上に、自分の手を、重ねていた。


ミラベルが、女の上から、横へ転がった。仰向けになって、動かなくなった。

マーロウは、まだ血の止まっていない手のひらを、ミラベルの唇に落とした。三滴目だった。

ミラベルの目が、開いた。

『…坊や、いる?』

「いる」

『あの子、は』

女は、草の上に、座っていた。両手の指を、開いたまま、膝の上に置いて。

逃げなかった。逃げても、何もつかめない。

ドラグと、施療所の兵だった男たちが、女のまわりに、輪を作って立った。


夜、女は、小屋の一つに入れられた。戸口に、ドラグが座った。

ミラベルは、荷車の下で、マーロウの胸に、額を押しつけていた。

『あの子、あたしなの』

「…ああ」

『あたしが、二百十年、お腹すかせてたのと、同じなの。三日で止まるって、自分で知ってて』

マーロウは、黙って、ミラベルの髪を撫でた。

『でも、坊やの血、あげたら、あの子、坊やを連れていく』

「留めがある。もう、つかめない」

『…分かってる』

ミラベルは、マーロウの服を、ぎゅっと握った。

『坊やの血は、あたしのだもん。朝の一滴は、あたしのだもん』

「分かってる」

『…考えさせて。一人で決めるのは、なし、だよね』

「なしだ。二人で決める」

ミラベルは、それきり、黙った。朝まで、マーロウの心臓の音を数えていた。


夜明けに、小屋の戸口で、ドラグが立ち上がった。

中で、女が、戸口のほうを向いて座っていた。朝の光が、その顔に当たっていた。

女は、にこりと笑って、言った。

『ミラベル・グリム・ケインです』

二年のうちの、百十二日目の朝だった。

第十三章 了