海壁

第二十章

取引

挿絵:取引

火のまわりに、みんなが集まっていた。

ロズリンが、硝子の板を、木箱の上に置いた。板は、まだ、ぼんやり光っていた。

「言え」

マーロウが、言った。

「取引の中身を。…みんなの前でだ」

『はい』

板の声は、平らだった。

『一〇六番が、孤独の大地へ来て、原型になれば、三つ、約束します』

火が、ぱちりと鳴った。

『一つ。西の海を、粒にするのを、やめます。海壁の街の海は、残ります』

ウィラが、顔を上げた。

『二つ。十二の家の者を、減らしません。孤独の大地へも、運びません』

オーウェンが、杖を握りなおした。イルマが、膝の上で、手を組んだ。

『三つ。一番と三番に、一〇六番の血を、毎朝、届けます。硝子の管で。二人とも、止まりません』

誰も、何も言わなかった。

悪い取引には、聞こえなかった。マーロウにも、そう聞こえた。


「原型になったら、何年だ」

『二十年から、三十年。建物から、出られません。…前に、お伝えしたとおりです』

「その血で、何をする」

『百六人を、作ります。今度は、名前の欄を、埋めます。一〇六番が、前に出した条件のとおりに』

板は、少しだけ、間をおいた。

『その百六人の血で、蓋の下の海と、北の氷の下の海と、東の砂の下の海と、海壁の街の穴の下の海を、粒にします』

ロズリンの筆が、止まった。

『…西の海を残して、ほかの海を、全部』

ロズリンが、低く言った。

『水は、尽きます。作り直していない人間は、いなくなります。…ゆっくりと、ですが』

「ゆっくり、ってのは」

『百年ほどです』

板は、嘘をつかなかった。

ベアタが、火の向こうで、目を細めた。

『取引ってのは、差し出すものと、もらうものを、並べて見るもんだよ』

小さな皇帝は、火を見たまま、言った。

『わたしは、三百年、それで間違えてきた。もらうものが、目の前に並んでいるほうを、取った』


ミラベルが、マーロウの手を、握っていた。骨が鳴るほど。

『坊や。一人で、決めないで』

「決めない」

マーロウは、火のまわりを、見回した。

「訊く。…どう思う」

ウィラが、最初に言った。

『やだ』

短かった。

『父さんが、どこかに行って、待つの。もう、やだ。三十年も』

ドラグが、腕を組んだまま、言った。

『兄貴は、自分で選んで、自分で死んだ。…おまえが選ぶなら、止めん。だが、あの機械に選ばされるのは、違う』

ティルダが、帳面を閉じた。

『指示書には、ございません。ですから、わたくしの考えを、申します。…百年後の子どもの名前も、どなたかが、呼ぶべきでございます』

ミラベルが、マーロウの顔を見上げた。

『管の血、やだ』

「…それが理由か」

『それも、理由。坊やの指から、がいいの。ちゅうのあとに』

それから、ミラベルは、少しだけ真面目な顔になった。

『坊やが、三十年、一人で、建物の中にいるの、やだ。あたしが、一人で、二百十年、お腹すかせてたのと、同じになる』

小屋の戸口に、オスカが立っていた。開いたままの指を、胸の前で合わせて。

オスカは、少し迷ってから、言った。

『…あたしも、指から、がいい』

ミラベルが、振り向いた。

「オスカ!」

オスカは、首をすくめた。けれど、言ったことは、引っこめなかった。


マーロウは、板に向き直った。

「断る」

板は、すぐには答えなかった。

「海は、全部残す。十二人、そろえる。…そっちの取引より、欲張りな話だがな」

『十二のうち、七です』

「あと、五だ」

『承知しました』

板は、また、少しだけ間をおいた。

『十二の席は、孤独の大地の、塔の下にあります。前に、お伝えしたとおりです。…そろったら、来てください』

それから、平らな声で、付け足した。

『お待ちします』

板の光が、消えた。

ベアタが、鼻で笑った。

『待つのは、あの機械も、慣れてるだろうね』

二年のうちの、百十四日目の夜が、明けかけていた。

第二十章 了