海壁

第二十七章

渇いた群れ

挿絵:渇いた群れ

夜が明けると、東の地平線が、動いていた。

土煙だった。その下で、何百という背中が、こちらへ走ってきていた。

焼けて黒く固まった塩の背中。割れ目が、赤く光っている。口から白い光を吐く獣。錆色の板を重ねた、目のない獣。犬ほどの小さなものが、何十、何百。

東の乾いた土地で、渇いて、昔の粒をほどいて生きてきた獣たちだった。

『水の匂いだ』

ドラグが、唸った。

『乾いた土地の獣が、水の匂いを、嗅ぎつけた』

獣たちは、まっすぐ、畑の東の列へ向かっていた。ヨアのいる、湧き水のほうへ。


施療所の兵だった男たちと、噛む兵だった男たちが、腕を組んで、列を作った。湧き水と、眠っている人たちの前に。その端に、ベルタとヘルミーナとペトラが、並んで立っていた。

「下がってろ」

マーロウが言うと、ヘルミーナが、鼻で笑った。

『覚えるのが、仕事でね。見てないと、覚えられないよ』

ミラベルが、名前のない剣を抜いた。

その横に、オスカが立った。開いたままの両手を、左右に広げて。

「オスカ。行ける?」

『行ける』

「じゃあ、競争」

ミラベルは、笑った。オスカも、少しだけ、笑った。

二人は、同時に、跳んだ。


群れの先頭に、同じ顔が、二つ、降りた。

ミラベルの剣が、焼けた塩の背中を、首ごと落とした。その横で、オスカの開いた手のひらが、錆色の板の獣を、横から叩いた。板が、何十枚も、まとめて砕けた。

ミラベルが右へ流すと、オスカが左で返した。ミラベルが低く沈むと、オスカが、その頭の上を跳んだ。

同じ動きだった。けれど、二人でやると、二倍の速さになった。

獣の群れが、二つに裂けた。

それでも、数が多すぎた。裂けた群れの両脇から、小さな獣が、何百と、列へ流れこんでいった。

兵だった男たちが、腕を組んだまま、踏ん張った。ドラグが、先頭で、焼けた背中の獣を、肩で受けとめた。

マーロウは、腰の袋から、硝子の管を出した。ネルの管だった。残っている空きは、七本。

鉤で、左の手のひらを突いた。血を、管に詰めた。三本。

焼けた背中の獣には、血が、途中で乾いて届かない。だから、管ごと、口に投げこむ。畑の東の列で、焼けた背中の獣と戦った夜に、覚えたやり方だった。

一本。二本。三本。喉の赤い光が、三つ、消えた。


けれど、群れは、止まらなかった。

倒しても、倒しても、後ろから押してくる。まるで、一つの生き物のように。

列の端で、一人の女が、東を見ていた。

二百八十九名の一人。人間の、三十半ばの女だった。痩せて、背が高く、赤茶の髪を、首の後ろで短く束ねている。目の色が、薄かった。ほとんど、銀に近いほど。

その目が、群れの、ずっと奥を見ていた。

「…一頭だけ、光り方が、違う」

ミラが、女の横で、金属の目を細めた。

『ミラには、みんな、同じに見える』

「いちばん奥。大きい背中。胸の奥の、結び目が、脈打ってる。…ほかのみんなの結び目が、それに合わせて、脈打ってる」

ロズリンが、息をのんだ。

『鳴き霧と、同じです。真ん中の一頭が、群れを、動かしている』

ロズリンは、女の顔と、ミラの金属の目を、見比べた。

『…ミラさんの目は、本部が、あなたの家の目を、写したものかもしれません』

女は、それには答えなかった。ただ、群れの奥を、指さしていた。

マーロウは、群れの中のミラベルに、叫んだ。

「ミラベル! いちばん奥! 大きいやつだ!」

ミラベルが、振り向いた。

それから、まっすぐ、マーロウのほうへ、跳んで戻ってきた。

『遠い。…二滴目、ちょうだい』

マーロウは、まだ血の止まっていない手のひらを、ミラベルの唇に当てた。

ミラベルの金属の目が、白く光った。

「オスカ! 道、あけて!」

オスカが、群れの前で、両手を広げた。開いた手のひらで、左右の獣を、はじき飛ばした。

その真ん中を、ミラベルが、一本の光の筋になって、抜けていった。


群れの、いちばん奥。ほかの獣の三倍はある、焼けた塩の背中。

剣が、その胸を、まっすぐ貫いた。

脈打っていた結び目の光が、消えた。

その瞬間、群れの全部が、止まった。

何百という背中が、急に、ばらばらに、あたりを見回しはじめた。一つの生き物ではなくなっていた。

一頭が、東へ逃げた。二頭。十頭。やがて、群れは、ほどけるように、東の荒れ地へ散っていった。

ロズリンの抱えた板が、光った。

『クロスリーの目を、確認しました』

一拍、あった。

『…十二のうち、十二』

二年のうちの、百十九日目の朝だった。

第二十七章 了