第二十八章
十二のうち、十二

ミラベルは、倒れた大きな背中の横で、仰向けになっていた。唇が、白く乾いていた。
マーロウは、手のひらの血を、その唇に落とした。三滴目だった。
ミラベルは、目を開けるなり、言った。
『…十二?』
「十二だ」
『十二のうち、十二?』
「そう言った」
ミラベルは、光る草の上で、両手両足を、空に向かって、ばたばたさせた。
『そろったー!』
その横に、オスカが、ぺたりと座った。開いた手のひらに、獣の砂がついていた。
『競争、どっちの勝ち』
「あたし」
『ミラベル、最後、二滴目、もらった。…ずるい』
ミラベルが、吹きだした。マーロウも、少しだけ笑った。
列の端に、あの女が、立っていた。赤茶の髪。銀に近い、薄い目。
マーロウは、女の前に行った。
「名前は」
『ゲルダ。ゲルダ・クロスリー』
女は、自分の目の下を、指で触った。
『うちの家では、目が、薄く生まれる子がいるんです。その子は、遠くの火の、息づかいが見える、と。…祖母が、そうでした。わたしも、そうだと、今日、分かりました』
「誰かに、言われたか」
『いいえ。見えたから、言っただけです』
ゲルダは、ミラのほうを見た。ミラの、色のない金属の目を。
『…あの子の目、わたしの目に、似ています』
ミラは、しばらくゲルダを見つめていた。それから、木の指で、自分の目の下を、同じように触った。
マーロウは、この女の、遠くを見る静かな目つきが、好きだと思った。
昼、畑の真ん中に、人が集まっていた。
一の墓の前に、十人が並んでいた。
アディ・ノール。マティアス・フェンウィック。オーウェン・グリム。イルマ・アッシュクロフト。ペトラ・ラングレー。ヘルミーナ・ローウェル。ベルタ・ミルバーン。ヨナス・ブラックウッド。ゲルダ・クロスリー。
それに、ここにいない二人の名前を、ロズリンが読み上げた。
「エミル・ハーグレイヴ。東の谷。ルーカス・ストラウド。海壁の街」
そして、マーロウ・ケイン。
ロズリンは、帳面に、十二の名前を、一つずつ書いた。筆が、ときどき、止まった。
書き終えると、眼鏡を外して、目をこすった。
『…にじみました』
ドラグが、横から、帳面を覗いた。
「にじんでも、残る。…そうだろう」
ロズリンは、ドラグの腕に、額をつけた。
ティルダが、帳面を開いた。
『帝国暦三四九年、夏。共和国の畑。十二の家の者、十二、そろう』
ティルダは、筆を止めて、少しだけ考えた。それから、一行、足した。
『火のまわりの者、数えきれず。笑った者、数えきれず』
マリエが、母親の袖を引いた。
「数えないの?」
『数えきれない、と書くのは、初めてでございます』
ティルダの口の端が、ほんの少し、上がっていた。
ヘルミーナが、前に出た。
『もう一つ、あるんだよ。覚えの言葉』
みんなが、ヘルミーナを見た。
『五つ目は、十二がそろってから言え、と、婆さまに言われとった』
ヘルミーナは、目を閉じた。
『五つ。機械が止まったら、ブラックウッドの子が、水を戻す。子は、子を産む。水は、何百年かかっても、戻る』
ヘルミーナは、目を開けた。
『…以上だ。三百年ぶんの、覚えの言葉は』
しばらく、誰も、何も言わなかった。
それから、ベルタが、手を叩いた。イルマが、続いた。ペトラが、叩いた回数を数えながら、叩いた。
拍手が、畑じゅうに、広がっていった。
夕方、ロズリンの抱えた板が、光った。
『十二のうち、十二』
平らな声だった。
『孤独の大地の、塔の下で、お待ちします』
「待ってろ」
マーロウは、言った。
「東の谷と、海壁の街から、二人、連れてくる。そしたら、行く」
板は、それ以上、何も言わなかった。
その夜、ヨアのまわりで、声が上がった。
オスカの声だった。
マーロウとミラベルが走っていくと、湧き水の縁に、オスカが、しゃがみこんでいた。
ヨアの白い体の端が、小さく、ふくらんでいた。ふくらみは、やがて、ぷつりと離れて、水の上に浮いた。
手のひらに乗るほどの、白い、小さなもの。腹の奥で、青い光が、小さく脈打っていた。
『…子が、生まれた』
ヨナスが、膝をついて、言った。声が、震えていた。
小さな白いものが、水の縁へ、ゆらゆらと流れてきた。オスカの前へ。
オスカは、開いたままの両手を、そっと水に差し入れた。左右から。
はさんで、すくい上げた。
つかめない手の中で、小さな命が、青く光っていた。
オスカは、ミラベルを見上げた。
『…持てた』
二年のうちの、百十九日目だった。
第二十八章 了