第二十六章
オスカの答え

オスカは、光る草の上を、まっすぐ歩いてきた。
開いたままの両手を、体の横に下げて。
ミラベルが、白いものとオスカのあいだに、立った。
「オスカ」
オスカは、ミラベルの前で、止まった。
ミラベルと、同じ顔だった。同じ背丈。けれど、目の奥の光り方が、少しだけ違った。
「…壊しに来たの?」
オスカは、答えなかった。ミラベルの横を、すり抜けた。
ミラベルは、止めなかった。止めようとした手を、途中で、下ろしていた。
オスカは、水の縁に、しゃがんだ。
白い根が一本、水の中から、オスカのほうへ伸びてきた。オスカの、開いたままの手のひらに、そっと触れた。
オスカは、手を引かなかった。
振り向いて、ヨナスに訊いた。
「…この子、名前、ある?」
ヨナスは、首を横に振った。
『ないです。…三百年、誰にも、呼ばれていない』
ロズリンの抱えた板が、光った。
『三番。これは、指示です。その生き物を、壊しなさい』
オスカは、板のほうを、見た。初めて、まっすぐに。
「…オスカ」
それから、小さな声で、言った。
「ミラベルの、爺さんが、言ったんでしょ。止めるときに、泣くやつがいるように、って」
オスカは、白い根に触れたままの、自分の手を見下ろした。
「この子が壊れたら、あたしが、泣く。…泣くやつが、いる。だから、壊さない」
板は、しばらく、黙っていた。
『三番は、私の指示を、受けません』
平らな声だった。
『…計算を、やり直します』
板の光が、消えた。
ミラベルが、オスカの背中に、抱きついた。
「オスカ! えらい!」
オスカは、驚いて、体を固くした。それから、ゆっくり、力を抜いた。
『…それ、ミラベルの』
「あたしのだけど、今のは、オスカにあげる!」
オスカは、少しだけ、笑った。ミラベルとは、違う笑い方で。
それから、ヨナスのほうを向いた。
「名前、つけて。…ブラックウッドの、手の人」
ヨナスは、困った顔をした。大きな手で、白い根を、そっと撫でた。
『…ヨア』
しばらく考えてから、そう言った。
『うちの、ずっと上の爺さんの名前が、ヨアヒム。…その、半分です』
「ミラベルと、同じやり方」
オスカが、言った。
「半分、もらうの」
白いものが、ふうっと、ふくらんだ。腹の奥の青い光が、一度、明るくなった。
ロズリンの抱えた板が、もう一度、光った。今度は、少しだけ、遅れて。
『ブラックウッドの手を、確認しました。十二のうち、十一』
「あと、一!」
ミラベルが、オスカに抱きついたまま、叫んだ。
昼、ヨアは、湧いた水の真ん中で、ゆっくり、ふくらんだりしぼんだりしていた。
根が、粒の山から、一つずつ、粒をすくっていった。すくうたびに、水が、少しずつ増えた。水は、ベルタが開けた水門から、石の水路へ流れていった。
ペトラが、水路の縁に座って、膝を叩いていた。
『一刻で、粒を、百十二。…水は、桶で、およそ百十二杯』
ロズリンが、横で、それを書いていた。
「一粒で、桶一杯。…マーロウさんの血の、ちょうど逆です」
ヘルミーナが、腕を組んで、ヨアを見ていた。
『婆さまの言ったとおりだ。…生きてるうちに、見られるとはね』
夜、マーロウとミラベルは、水路の縁に、並んで座っていた。
水の音が、していた。畑で、水の流れる音を聞いたのは、初めてだった。
『坊や。水、戻るんだね』
「…少しずつな」
『少しずつでも、戻るんでしょ。世界に』
ミラベルは、足を、水路の上で、ぶらぶらさせた。水には、つけなかった。
『全部、終わったら。海壁の街の、納屋に帰って。毎朝、一滴もらって。昼は、市場。ニムの杏。夜は、壁の上』
「前にも、聞いた」
『何回でも、言うの。言うと、減らないで、増えるから』
マーロウは、ミラベルの肩を、引き寄せた。
「…増えたか」
『増えた』
ミラベルは、マーロウの胸に、頬をつけた。
『好き。…水の音と、坊やの心臓、両方、聞こえる』
畑の東の端で、ペトラが、立っていた。
膝を叩く指が、速くなっていた。
ロズリンが、灯りを持って、横に来た。
「数えていますか」
『足音です。…東から。南東から』
ペトラの指が、止まらなかった。
『…たくさん。数えきれないくらい』
二年のうちの、百十八日目の夜だった。
第二十六章 了