海壁

第二十五章

根の口

挿絵:根の口

夜明け、波打ち際に、みんなが並んだ。

いちばん前に、ウィラがいた。その少し後ろに、ハロルドとネル。帳面を抱えたミア。

マーロウは、膝まで海に入っていた。鉤と、ネルがゆうべ作り直した針穴の袋を、腰に下げていた。前にネルが作ってくれたのと同じ、底に細かい穴を開けた革の小袋だった。

ミラベルが、腰まで。ベルが、胸まで。ベルの腕には、切った銅の針金の束が、四十本、巻きつけてあった。

グロムと二十人のオークが、頭まで、沈んでいった。

ミラが、最後に、沈んだ。

水面に、泡は立たなかった。ミラは、息をしない。


マーロウは、ミラベルの肩ごしに、水の中を覗いた。

朝の光が、斜めに差しこんでいた。

海の底を、太い根が這っていた。錆びない金属の根。壁のほうから、何本も、枝分かれしながら、沖へ伸びていた。

根の先に、手が、ついていた。

人の背丈ほどの手。手のひらを上に向けて、椀の形に丸まっていた。その椀が、ゆっくり開いて、閉じた。閉じるたびに、手のまわりの水が、根の中へ吸いこまれていった。

それが、見えるだけで、十あった。その先の暗がりに、もっと。

四十。

オークの兵が、二人ずつ、手に取りついた。開いた指を、両側から押さえた。

ミラが、その間に、滑りこんだ。

溝のついた木の指で、針金を、手首の筋の下にくぐらせた。二回、巻いた。右に、三回。

一つ目の手が、開いたまま、止まった。

ベルが、水の上で、数えた。

『一』


十を越えたところで、根が、動いた。

海の底を這っていた根が、蛇のように、身をよじった。

押さえていた手が、オークの兵の腕ごと、閉じた。兵が、もがいた。水面に、大きな泡が上がった。

ミラベルが、潜った。

閉じた手の指を、左手でつかんで、こじ開けた。兵が、手のあいだから抜け出して、水面へ上がった。咳きこみながら、それでも、笑っていた。

ミラベルも、上がってきた。息を、吸いこんだ。

「深いとこ、手、動いてる!」

本部です、とベルが言った。水の上で、壁のほうを見ていた。

壁の声が、遠くから、響いてきた。

『水の中の手に触れる者を、退けます』

「退けてみなよ」

ミラベルは、また、潜った。


二十。二十五。

グロムの兵は、百を数えるたびに、交代で水面に上がって、息を吸って、また潜った。一人も、手を放さなかった。

三十。

深いところの手は、暗がりの中にあった。朝の光が、届かなかった。

ミラは、金属の目で、見ていた。手の、手首のあたりが、ほんの少し、白く光っていた。ほどけかけの粒の、漏れだった。

ミラは、その光を目当てに、潜っていった。

三十五。

根が、ミラの胴に、巻きついた。細い枝のような根が、何本も。ミラの体が、暗がりの奥へ、引きずられていった。

ミラベルが、四十数える息で、潜った。

暗がりの手前で、止まった。息が、足りなかった。

マーロウは、針穴の袋を、胸の前で握った。

根は、壁の根元とつながっている。壁の根元の燃料は、濡れていなければ燃えない。根が動くのも、たぶん、同じだ。

マーロウは、鉤で、手のひらを突いた。袋に、血を絞った。口の紐を、二重に締めた。

深く息を吸って、潜った。

ミラの胴に巻きついた根の、付け根。そこへ、袋を向けて、振った。

三十の穴から、赤い霧が、水の中に広がった。

根のまわりの水が、消えた。粒が、ぱらぱらと、底へ落ちた。根の、濡れていた継ぎ目の光が、消えた。

根が、ほどけるように、ゆるんだ。

ミラが、根の間から抜け出した。

振り返らなかった。そのまま、暗がりの奥へ、潜っていった。


マーロウは、水面に上がった。

肺が、焼けるようだった。ミラベルが、マーロウの襟をつかんで、引き上げた。

『坊や! 潜るなんて、聞いてない!』

「言ってない」

『言って!』

「…ミラは」

ベルが、水の上で、数えていた。

『三十八。…三十九』

長い、間があった。

水面は、静かだった。泡は、立たなかった。ミラは、息をしない。

ウィラが、波打ち際で、両手を握りしめていた。

『…四十』

ベルが、言った。

水面が、割れた。

「ミラ!」

ウィラの声だった。ミラが、顔を出した。木の腕を、空に向かって、まっすぐ、上げていた。五本の溝のついた指を、一本ずつ、開いてみせた。

『…縛った』

ミラの声は、小さかった。

『ミラが、縛った』

波打ち際で、ウィラが、跳びはねていた。ネルが、腕を組んだまま、空を見上げた。ハロルドが、杖で砂を叩いた。

水の中から、グロムと二十人のオークが、次々に顔を出した。みんな、笑っていた。

「四十だ、ミラ」

マーロウが言うと、ミラは、木の指を、もう一度、開いて閉じた。

壁の声が、遠くから、響いた。

『根の口を、確認しました』

それだけだった。

第二十五章 了