海壁

第十七章

荷車の朝

挿絵:荷車の朝

夜明け前、東門の外で、船の腹が開いた。

ミアが、門の脇に立っていた。乗る人が一人通るたびに、帳面の名前を読み上げた。ベンとリタ。赤ん坊。老人。若い男。

読み上げられた人は、振り返って、ミアに頷いた。それから、船の中へ入っていった。

先頭の船の甲板に、セラフィナ・ロウが立っていた。その横で、エステルが、一の粒の灯りを抱えていた。

セラフィナは、門のほうを見ていた。何も言わなかった。


同じころ、マーロウは、壁の北の端の外にいた。

朝の一滴は、もう済ませていた。ミラベルが、左に。ベルが、右に。ミラは、鉄の箱の上で、北の荒れ地を見ていた。ガルドとグロムと、オークの兵が十人、少し下がって並んでいた。

『来た。四つ』

ミラが、言った。

「四台か」

北の荒れ地の向こうから、砂煙が上がっていた。

荷車が、四台。どれも、馬が四頭ずつ。荷台に、錆びない金属の長い骨が、束になって積んであった。腕の骨と、筋。

骨の束の上に、手が乗っていた。人の背丈の倍ほどの、錆びない金属の手。一台に、六つずつ。

先頭の荷車の御者台に、若い男が一人、座っていた。染み一つない服。背筋がまっすぐだった。

荷車は、壁の北の端の前で、止まった。

御者が、御者台から降りて、頭を下げた。

『お待たせいたしました。本部の荷でございます。御者の、ルーカス・ストラウドと申します』

ストラウド。

十二の家の、名字だった。


二十四の手が、いっせいに、荷台から跳び降りた。

手は、ばらばらには来なかった。

一つの手の指先が、もう一つの手の手首をつかんだ。その手の指が、また次の手首を。二十四の手が、つかみ合い、重なり合って、一つの形になっていった。

巨大な手だった。

指の一本一本が、手でできていた。手のひらに、二十四の硝子の目が、蜂の巣のように並んでいた。高さは、壁の半分を超えていた。

二十四の目から、白い線が、いっせいに伸びた。

線は、マーロウを避けた。ガルドとグロムと兵の前の地面を、横一文字に焼いた。石が、溶けて、流れた。

兵が、下がった。

「…管は、二十四本か」

『二十四本』

ミラベルが、言った。

『一滴目じゃ、一本抜いてるあいだに、二十三本に撃たれる』

「二滴目だな」

『うん』

ミラベルが、マーロウの前に、顔を上げた。

マーロウは、鉤の先で、人差し指を突いた。今朝と同じ指だった。赤い玉を、ミラベルの唇へ持っていった。

胸の奥で、深いところで、何かがはまる音がした。

金属の目が、白く光った。

「ベル。坊やの前にいて」

『はい』

ベルが、マーロウの前に立って、二本の金属の腕を広げた。

ミラベルが、消えた。


マーロウには、何が起きたのか、ほとんど見えなかった。

巨大な手の、手のひらの前に、一瞬、ミラベルの背中が見えた。

次の瞬間には、もう、そこにいなかった。

白い線が、何本か、あさっての方向へ撃たれた。一本が、マーロウのほうへ曲がってきた。ベルの腕が、それを受けた。線は、錆びない金属の上で、はじけて消えた。

ミラが、鉄の箱の上から叫んだ。左の上、まだ光ってる、と。

ミラベルの影が、左の上に走った。

それで、終わりだった。

巨大な手が、指の先から、崩れていった。つかみ合っていた手が、一つずつ、手首を放した。手のひらの硝子の目が、全部、割れていた。

二十四の手が、ばらばらに、砂の上に崩れ落ちた。

ミラベルが、崩れた手の山の上に立っていた。右手に、細い硝子の管を、束にして握っていた。

二十四本。

「…全部か」

『…数えて、坊や』

「数えなくても、分かる」


ミラベルは、管の束を放り出すと、荷車のほうへ跳んだ。

名前のない剣が、光った。

四台の荷台の上で、錆びない金属の骨が、筋が、細かく、細かく刻まれていった。鏡のような切り口が、朝日に光った。

十二本ぶんの腕の骨は、息を三つするあいだに、荷台の上の、金属の砂利になった。

ミラベルは、荷車から降りて、マーロウの前まで歩いてきた。

そこで、膝が折れた。

唇が、白く乾いていた。

マーロウは、同じ指をもう一度突いて、三滴目を唇に落とした。金属の目の白い光が、すっと引いた。

『…ちゃんと、刻んだ』

「見てた」

『ミラベル・グリム・ケインが、刻んだ』

「名字は、言わなくていい」

『言う。今日は、全部に言う』


御者のルーカス・ストラウドは、御者台の横に、まっすぐ立ったままだった。

「ルーカス・ストラウド」

マーロウが、名前を呼んだ。

ルーカスが、一拍、止まった。

『…はい』

「あんたの家の者が、孤独の大地から出てきた。二百八十九人。今、南の畑へ向かってる」

ルーカスは、何も言わなかった。まっすぐ立ったまま、瞬きを一つ、した。

それから、ほんの少しだけ、南のほうへ、顔を向けた。


壁の声が、北の端に響いた。

『骨を、確認できなくなりました』

平らな声だった。

『計算に、入れていました。一番は、二滴目で、骨を刻む』

「…読んでたのか」

『はい。荷車は、急ぐためのものでした』

壁のてっぺんで、何かが、きしんだ。

マーロウは、見上げた。

肘から先のない六本の腕の、切り口。その切り口の金属が、ゆっくりと、盛り上がっていた。溶けた蝋が、垂れるのとは逆に、上へ。

『壁は、私の体です。腕は、壁の中の金属で、伸ばします』

壁の声が、言った。

『遅くなります。十日で、一本。…止まりません』

東の空に、船が、上がっていくのが見えた。三十三隻のうち、人を乗せた船は、四隻だった。

第十七章 了