第十二章
全部

サイラスは、ニムの店の二階で、紙を十枚、机に並べた。
全部、自分の字だった。帝都へ運んだ紙の、控えだった。
『お約束しましたので。全部です』
「一枚目から話せ」
サイラスは、眼鏡を押し上げた。
『一枚目。北の端の箱です。春から十日ごとに、本部の荷車が帝国の取り分を積んでいきました。帝都の東の倉で、下ろしております。帝都の灯りの、四つに一つは、もう、この街の海で点いております』
ウィラが、椅子の背をつかんだ。
『二枚目。名代の船です。軍の船が三隻。それとは別に、人を運ぶ船が、三十隻、帝都を出ております』
「三十隻」
『一隻に百人は乗れます』
マーロウは、窓の外を見た。
この街の人は、数千。三十隻なら、ほとんど全員が乗れる。
「何のためだ」
『紙には、移送、とだけ』
サイラスは、そこで、言葉を止めた。
『移送の紙に、判を押したのは、私ではありません。ですが、同じ判の紙を、私は何度も運んでおります。施療所の紙と、同じ判でした』
店の中が、静かになった。
「…同じ判か」
戸口に立っていたガルドが、左手で、戸の枠を叩いた。
『名代は、ロウ家の女だな』
「知ってるのか」
『帝都で、名前だけは聞いた。ロウ家は、代々、帝都の古い書庫の番をしとる家だ。古い本を、読む家だ』
ガルドは、顎の傷を、左手の親指でなぞった。
『書庫の奥には、昔の人間の戦のやり方を書いた本があると、軍では噂だった。粒を割って光を出す、とかな。…作り話だと思っとった』
マーロウは、孤独の大地へ向かう馬車の中で見た、光の糸を思い出していた。
濡らした指先の粒をほどいて、髪より細い光にする。鉄を切る糸。
古い本で、覚えたのだ。
「その糸は、濡れてなけりゃ出ない。おれの血で乾かせば、消える」
『なら、心配はいらんな』
「前は、そうだった」
マーロウは、言った。
「あの女は、おれの血を、二度見てる」
昼過ぎ、マーロウは、東門の外の丘へ上った。
白い花の木の下で、ハロルドとウィラが、並んで座っていた。
ハロルドが、振り向いた。
『船の話は、聞いた』
「三十隻だ」
『乗れと言われたら、どうする、と今、娘に訊いたところだ』
ウィラは、白い石を見ていた。字の刻まれていない、白い石。
「母さんは、動かせない」
ウィラは、言った。
「石は動かせても、ここは動かせない。母さんが好きだったのは、この丘だから」
ハロルドは、しばらく黙っていた。それから、杖の先で、地面を軽く突いた。
『わしは、四年前、施療所から荷車で運ばれた。寝たまま、どこへ行くのかも分からずにな』
ハロルドの声は、静かだった。
『もう、どこにも運ばれん。自分の足で行くところ以外にはな』
マーロウは、二人の後ろに立っていた。
この二人は、もう決めていた。言うことは、何もなかった。
「…そうか」
ウィラが、振り向いた。
『マーロウは?』
「おれは、おまえらのいるところにいる」
『…ずるい答え』
「知ってる」
夕方、納屋の前で、ミラベルが、板切れに炭で字を書いていた。
横に、ウィラがしゃがんでいた。
「そこ、はねるの。ほら、こう」
ミラベルは、舌の先を出して、一字ずつ書いた。
ミラベル・グリム。
板切れの、端から書きはじめて、真ん中より少し先で、止まっていた。残りの半分が、空いていた。
「なんで、そんなに詰めて書くの」
ウィラが、訊いた。
『あとで、もう一個入るように』
ミラベルは、板切れを持ち上げて、戸口のマーロウに見せた。
『見て。書けた』
「読める」
『上手?』
「…読める」
『上手って言って』
「上手だ」
ミラベルは、板切れを胸に抱えて、笑った。空いた半分に、指で何か書くふりをして、また笑った。
ウィラが、マーロウの顔を見上げた。何も言わなかった。口の端だけで、笑っていた。父親と、同じ笑い方で。
夜更け、ベルが、納屋の戸を叩いた。
『報告です。海の高さを、本部に報せに行ったときに、壁が、一言、足しました』
「なんて」
『名代の船は、本部の注文です、と』
マーロウは、藁の上で、起き上がった。
隣で、ミラベルが、板切れを抱いたまま、寝息を立てていた。
名代まで、あと一日だった。
第十二章 了