海壁

第二十四章

息をしない子

挿絵:息をしない子

針金と道具をそろえるのに、一日かかった。その次の朝、乾いた底の、潮だまりの一つに、ネルとミラがしゃがんでいた。

ネルの前には、ミラベルが投げた前腕が、一本、転がっていた。その手首の筋の隙間に、ネルが、指を差しこんだ。

「根の手は、人の背丈くらいの大きさだって、本部が言ってた。小さい手は、筋が二本だけだ。留めは、一か所でいい」

ネルは、銅の針金を、筋の下にくぐらせた。

「二回巻いて、右に三回。…やってみな」

ミラが、木の指で、針金をつまんだ。

一回、巻いた。二回目で、針金が、指のあいだから落ちた。

ミラは、黙って、拾った。また、巻いた。また、落ちた。

十回目で、ミラの木の指が、止まった。

『…できない』

「できないのは、今だけだ」

『ミラの指、木。つるつる』

ネルは、ミラの木の指を取って、じっと見た。自分が刻んだ指だった。

それから、腰の小刀で、指の腹に、細い溝を三本ずつ、刻んだ。マーロウの鉤に刻んだのと、同じくらいの溝だった。

「これで、滑らない」

ミラは、溝のついた指で、針金をつまんだ。

一回。二回。右に、一回、二回、三回。

針金が、ねじれて、止まった。

『…できた』

「一回じゃ、できたって言わない。二十回、続けてできたら、できたって言え」


昼には、潮だまりの中で、やった。

海の水の中だった。ネルは、潮だまりの縁から、腕を浸けずに、見ていた。ミラは、頭まで水に沈んで、底に転がした前腕の手首に、留めを入れていた。

ミラは、息をしない。

水の中で、いつまでも、しゃがんでいられた。

ネルが、指を折って数えていた。十五。十六。

ミラベルが、潮だまりの反対側で、膝を抱えて見ていた。

二十回目の針金が、ねじれて、止まった。

ミラが、水の中から、顔を出した。

『…できた』

「できたな」

ネルが、言った。

「今のは、できたって言っていい」


夕方、グロムが、オークの兵を二十人、禁止区に並べた。

『根の手は、閉じる。閉じれば、ミラの腕が挟まれる』

グロムは、黄色い目で、海を見ていた。

『だから、おれたちが、手を開いたまま押さえる。オークは、海の中で、平気だ。息は、続くだけ続かせる』

「息は、どのくらい」

マーロウが訊くと、グロムは、少し考えた。

『百、数えるくらいだ』

兵の一人が、胸を叩いた。百二十、と言った。別の一人が、百五十、と言った。グロムが、振り向いて、見栄を張るな、と言った。兵たちが、笑った。

「…頼む」

ミラベルが、マーロウの横で、海を見ていた。

『あたしも、潜る』

「息は」

『…四十。数えるくらい』

ミラベルは、少しだけ、悔しそうだった。

『あたし、肉のほうが、多いから』

「浅いところで、待ってろ。ミラが深いところで挟まれたら、引っぱり上げる役だ」

『うん。…それなら、できる』


夜、ウィラが、納屋の前に、一人で座っていた。

マーロウが近づくと、ウィラは、顔を上げなかった。

『あたし、何もできない』

「この前、縛ったろ。六本目」

『今度は、水の中だもん。あたし、入れない。ネルさんも、ミアも、入れない』

ウィラは、膝を抱えた。

『待つだけ』

「待つのは、嫌か」

戸口の暗がりから、杖の音がした。

ハロルドが、立っていた。

『待つのも、仕事だ』

ハロルドは、言った。

『わしが畑で寝とった四年、おまえは、市場で待っとった。…待っとる者がいたから、わしは、起きた』

ウィラは、父親の顔を見上げた。

しばらく、黙っていた。

「…じゃあ、明日、波打ち際で待つ。いちばん前で」

『いちばん前は、濡れるぞ』

「しぶきくらいなら、始まらないって、マーロウが言った」

ハロルドは、口の端で笑った。


納屋の中で、ミラが、藁の上に座っていた。溝のついた木の指を、何度も、開いて閉じていた。

ミラベルが、その横に座った。

「ミラ」

『…ミラ、できる?』

「できる」

ミラベルは、ミラの木の手を、自分の金属の手で包んだ。

「鳴き霧のとき、真ん中の塊、ミラが見つけた。ハルデンで、ピップを、ミラが持った。…今度は、ミラが縛る」

ミラは、金属の目で、ミラベルを見ていた。

『見つけた。持った。…縛る』

「そう。ミラは、全部、できる子」

ミラは、ミラベルの肩に、頭をのせた。

息をしない体で、それでも、眠るように、目を閉じた。

第二十四章 了