第二十一章
留め

次の朝、ネルは、壁のてっぺんの、北の端の口の前にしゃがんでいた。
肘から先のない腕が、口から斜めに突き出していた。切り口は、あの朝から、もう十五メートル近く伸びていた。伸びた先は、まだ、ただの金属の棒だった。骨と筋の形が、中で、少しずつ育っていた。
ネルは、切り口の縁に、耳を当てた。
『…筋の束が、十六本。肘から、手首へ行く途中で、二本ずつ交差する』
ネルは、背中の袋から、銅の針金の束と、鉄の鉤を何本も出した。
『二本の束を、もう一回、交差させて、この針金で縛る。それを、八か所。切り口に留めが入れば、伸びた先も、留めごと写される』
「何をすればいい」
『あんたの嫁に、筋を持ち上げてもらう。あたしの腕じゃ、一本も動かない』
ミラベルが、ネルの横にしゃがんだ。嫁、と言われて、少しだけ口の端が上がった。
「どれ」
『これと、これ。指一本ぶん、上に』
ミラベルは、切り口の中の、錆びない金属の筋を、左手の指先でつまんだ。人の腕ほどの太さの筋が、糸のように持ち上がった。
ネルが、その下に、針金を通した。
三か所目を縛っているときだった。
足元の、壁のてっぺんの石が、盛り上がった。
石の下から、錆びない金属が、指の形で、何本も生えてきた。細い指だった。草のように、びっしりと。
指が、ネルの足首をつかんだ。
ミラベルの剣が、光った。指が、根元から、全部落ちた。
ネルが、足首をさすった。
「…本部?」
ミラベルが、壁の石に向かって言った。壁の声が、答えた。
『腕に触れる者を、退けます』
「退けてみなよ」
ミラベルが、言った。筋を、左手でつまんだまま。
『計算します』
「計算してて。ネル、続けて」
ネルは、四か所目に、針金を通した。
指は、何度も生えた。ミラベルは、筋を持ち上げたまま、右手の剣だけで、全部落とした。一度も、筋を放さなかった。
ベルとミラが、口のまわりに立って、足元から生える指を、踏みつぶしていった。
八か所目を縛り終えたとき、日が、真上にあった。
『…一本目』
ネルが、言った。
二本目、三本目は、午後のうちに終わった。
四本目の口の前で、ネルの手が、止まった。
針金を持った指が、震えていた。六日、ラーナの前脚にぶら下がっていた腕だった。指先が、白くなっていた。
『くそ。…握れない』
ネルは、自分の手を、膝に叩きつけた。
『握れない手を作るために来て、自分の手が握れないって、何の冗談だよ』
「ネル」
縄梯子の上から、声がした。
ウィラだった。いつから、そこにいたのか。帳面を、帯に差していた。
「あたしが、縛る」
『あんたが?』
「ロズリンさんに、帳面の綴じ方、習った。紐で。針金も、同じでしょ」
ネルは、ウィラの手を見た。小さな手だった。
ネルは、しばらく黙っていた。それから、針金の束を、ウィラに差し出した。
『…二回巻いて、ねじる。ねじるのは、右に。三回。緩んだら、全部やり直し』
「分かった」
ウィラは、切り口の縁に膝をついた。ミラベルが持ち上げた筋の下に、小さな手を差し入れた。
ネルの大きな手では入らない隙間に、ウィラの手は、入った。
二回巻いて、右に、三回。
『…いい』
ネルが、言った。
『もう一つ』
五本目と六本目は、次の日に回した。
その日の夕方、壁のてっぺんで、マーロウは、ミラベルと並んで座っていた。
下の禁止区で、ネルとウィラが、並んで針金を切っていた。明日のぶんを、今日のうちに切っておくのだと、ネルが言っていた。
『嬢ちゃん、上手だったね』
「ああ」
『ネルが、いい、って言った。ネルが言う、いい、は、すごくいいってことだよ』
ミラベルは、自分の左手を見た。今日、何百回も、筋を持ち上げた指だった。
『あたしの手も、ネルのおじいさんのおじいさんのおじいさんの型なんだよね』
「そうだな」
『ネルの手も、嬢ちゃんの手も、今日、同じ留めを作った。…なんか、みんな、うちの手、って感じ』
マーロウは、ミラベルの左手を取った。金属の指を、一本ずつ、自分の指で包んだ。
「いい手だ」
『…坊やが、そういうこと言うの、ずるい』
ミラベルは、マーロウの肩に、頭をのせた。
次の日の昼、ウィラが、六本目の最後の留めを、右に三回ねじった。
足元から生えた指は、もう、ほとんど出てこなかった。
ウィラが、息を吐いた。
「…六本」
壁の声が、言った。
『留めを、確認しました』
それだけだった。計算します、とは、言わなかった。
北の端の腕の切り口は、伸びつづけていた。その中で、骨と筋が、留めごと、写されていた。
二年のうちの、二十一日目だった。
第二十一章 了