第十四章
灯りの子

夜、東門の脇の兵の詰め所の前で、マーロウは待っていた。
ロドリク・ヘイルは、詰め所の地下の牢にいた。鉄の格子の戸。鍵は、グロムが持っていた。
ミラベルが、マーロウの左に立っていた。右にベル。ミラは、詰め所の屋根の上で、暗がりを見ていた。
『来た』
ミラが、言った。
「見えた」
通りの向こうから、灯りが七つ、近づいてきた。灰色の軍服の兵が六人。その真ん中に、セラフィナ・ロウ。
セラフィナは、詰め所の十歩手前で、止まった。
『ロドリク・ヘイルを、いただきに参りました』
「昼に、断った」
『存じております』
セラフィナは、右手を、軽く持ち上げた。
指先の、十個の小さな硝子。その中で、何かが、ぼんやり光っていた。
五本の指先から、髪より細い光の糸が、すっと伸びた。
マーロウは、口の中で、舌の先を噛んだ。馬車の中で、一度やったことだった。血を、糸の根元へ吹きつけた。
赤い霧が、硝子の指先にかかった。
糸は、消えなかった。
『粒は、硝子の中で、濡れています』
セラフィナは、言った。声は、少しも変わらなかった。
『あなたの血は、硝子を通りません。光は、通ります』
「…考えたな」
『馬車の中で、覚えておきます、と申し上げました』
糸が、詰め所の地下へ下りる階段の、鉄の格子に巻きついた。格子が、音もなく、四つに切れて落ちた。
残りの糸が、マーロウの首のほうへ、ゆっくりと伸びてきた。
『動かないでください。一〇六番の首に、糸をかけておくだけです。ロドリクを連れて帰るあいだ』
糸の先が、マーロウの喉に触れる前だった。
ミラベルの左腕が、そこにあった。
錆びない金属の腕に、五本の糸が、ぐるりと巻きついた。糸は、腕を切れなかった。
ミラベルは、金属の手で、五本まとめて、握りこんだ。
「坊やに、触らないで」
ミラベルの声は、低かった。
「糸でも」
セラフィナの左手が、上がった。残りの五本の糸が、反対側から、マーロウへ伸びた。ミラベルの手は、塞がっていた。
ベルが、動いた。
二本の金属の腕を、マーロウの前で、交差させた。左手の五本の糸が、ベルの腕に巻きついて、そこで止まった。
『守りたいものは、自分で決めました』
ベルが、言った。
『マーロウも、その中です』
セラフィナの両手が、光る糸で、左右に吊り上げられていた。
兵たちが、腰の短い剣に手をかけた。ミラが、屋根から、兵の真ん中に降りた。木の腕を広げた。五本の木の指を、一本ずつ開いてみせた。兵は、動かなかった。
マーロウは、鉤の先で、左の手のひらを浅く突いた。
ミラベルが、糸を握ったまま、セラフィナを引き寄せた。右の、肉のほうの手を伸ばして、セラフィナの右手の親指の硝子を、指でつまんだ。
ぱちん、と割れた。
濡れた粒が、こぼれた。こぼれた先に、マーロウの血の手のひらがあった。水は粒になって、光が消えた。糸が一本、消えた。
「一」
マーロウは、数えた。
ぱちん。
「二」
セラフィナは、何も言わなかった。自分の指先が一本ずつ暗くなるのを、見ていた。
「九」
ぱちん。
「十」
最後の糸が、消えた。
そのとき、通りの角で、小さな悲鳴が上がった。
女の子が、転んでいた。灯りを抱えて、母親を追ってきたのだろう。銀色の髪の、九つの女の子。エステル。
抱えていた灯りが、石畳の上で、割れていた。硝子が散って、中の粒が、どこかへ転がっていった。
通りが、暗くなった。
エステルは、動かなかった。石畳に座りこんだまま、両手で耳を塞いで、目をぎゅっと閉じていた。声も出さずに、震えていた。
セラフィナが、糸のなくなった手を伸ばした。届かなかった。十歩、離れていた。
マーロウは、腰の袋に手を入れた。
一の粒を、一つ、出した。
割れた灯りの枠を拾って、粒を入れる窪みに、押しこんだ。
灯りが、点いた。
白い、柔らかい光だった。マーロウは、しゃがんで、その灯りをエステルの膝の上に置いた。
エステルが、目を開けた。
「おれの兄貴が作った粒だ。十年は点く」
『…おにいさん、が』
「一っていう。もう、いない」
エステルは、灯りを両手で抱えた。光が、小さな顔を下から照らしていた。
『…ありがとう、ございます』
「ああ」
セラフィナが、娘のそばに膝をついた。
娘を抱き寄せて、それから、灯りの中の粒を見た。
『…刻印のない粒です』
「灯りは、印を見て点くわけじゃない」
セラフィナは、しばらく黙っていた。
それから、娘を抱いたまま、マーロウを見た。
『三十隻の船は、本部の注文です』
「知ってる」
『代金は、この街の海の、残り半分です。この街が空になれば、本部は、海の粒を全部、帝国に渡すと申しました。本部は、人がいなくなれば、腕を止める者もいなくなる、と計算しました』
セラフィナの声は、平らだった。
『誰も、死にません。この街の数千は、東の町で暮らせます。帝国の二千万は、灯りを得ます。…私は、人を数に入れて、比べています』
「知ってる」
マーロウは、言った。
「でも、ここの人間は、もう、どこにも運ばれんそうだ。施療所から、寝たまま運ばれた男が、そう言ってた」
セラフィナは、答えなかった。
娘の手の中で、一の粒の灯りが、揺れもせずに光っていた。
『…三日後の朝までは、待ちます』
セラフィナは、娘を抱き上げて、兵と一緒に通りを戻っていった。
エステルが、母親の肩ごしに、振り返った。灯りを持った手を、ほんの少しだけ、ミラベルのほうへ上げた。
ミラベルは、手を振り返した。振り返しながら、唇を噛んでいた。
一の粒は、五百八十四になった。
荷車まで、あと三日だった。
第十四章 了