海壁

第十一章

北の端

挿絵:北の端

朝の一滴のあと、ミラベルは、マーロウの指を放さなかった。

『今日も、いた』

「いた」

『明日も、いてね』

「いる」

それから、二人で壁の上へ上がった。ガルドとグロムが、待っていた。

ベルが、杭の数字を報せに来た。今朝も、指の関節、一つ分だった。

『荷車は、北から来る』

ガルドが、壁の北の端を、左手で指した。

『街には入らん。北の荒れ地を回って、壁の端の外へ着く。荷を下ろすと、壁が口を開けて、骨を飲みこむ。空になった荷台に、今度は、北の端に溜まった粒を積んで、帰っていく』

「前に止めたとき、荷台から手が出たんだな」

『白い線だ。兵が二人、焼けた』

「箱と、水の管がある手だ」

マーロウは、ミラベルを見た。

「管を抜けば、崩れる」

『知ってる。孤独の大地の東で、十二本、抜いた』

ミラベルは、指を折って数えてみせた。

『一滴目で、十二本くらい、平気』

「荷車の手が、十二本より多かったら」

『二滴目』

「…頼もしいな」

グロムが、黄色い目で、北の端を見ていた。

『荷車が着く前に、端の外を、一度見ておきませんか。粒が溜まっているというなら、番がいるはずです』

「行こう」


壁の北の端の外は、石ころだらけの荒れ地だった。

壁の根元に、鉄の箱が二つ、並んでいた。家ほどの大きさの箱だった。壁から、錆びない金属の樋が一本ずつ伸びていて、箱の上の口に差しこまれていた。

ミラが、足を止めた。

『…下。砂の下。光ってる。二つ』

言い終わる前に、地面が割れた。

砂の中から、錆びない金属の手が、二つ、跳ね上がった。人の背丈の、倍ほどの手。孤独の大地で見た手より、ずっと小さかった。

手は、白い線を撃たなかった。

指を広げて、地面を、叩いた。

叩いたところから、砂が波のように盛り上がって、こちらへ走ってきた。波の先が、グロムの兵の足首をつかんだ。砂が、手の形に固まっていた。兵が、そのまま砂の中へ引きずりこまれていった。膝まで。腰まで。

「砂の中の水を、手にしてる」

マーロウは、兵の足元を見た。濡れた砂だった。

「濡れた砂を、ほどいた力で、固めてるんだ」

ミラベルは、もう、手の上にいた。

手のひらの硝子の目に、剣の柄を叩きつけた。硝子が割れた。その奥から、細い水の管を、指でつまんで、引き抜いた。

手が、ぐしゃりと崩れた。砂の波が、ただの砂に戻った。

二つ目の手が、ミラベルの背中へ、砂の波を走らせた。

ミラが、横から跳んだ。木の腕で、手の小指に、しがみついた。木には、固める水がない。砂の波は、ミラの腕の上で、ただの砂になって流れ落ちた。

『…持った』

「ミラ、ありがと!」

ミラベルが、二つ目の管を抜いた。

グロムが、兵の脇に腕を差しこんで、砂から引き抜いた。兵は、咳きこんでいたが、怪我はなかった。

『…番、でしたね』

グロムが、言った。


鉄の箱の蓋を、ミラベルが、剣でこじ開けた。

中は、粒でいっぱいだった。刻印のある、新しい粒。箱のてっぺんまで、ぎっしりと。

もう一つの箱も、同じだった。ただ、そちらの蓋には、帝国の赤い印が焼きつけてあった。その下に、打ちこんだ札が一枚。

帝国の取り分。受け取り、皇帝の名代。

「…これが、ウィラの海か」

マーロウは、粒を一つ、手に取った。

『この箱一つで、およそ、二十万粒です』

ベルが、言った。

『春から、十日ごとの荷車が、同じだけ運んでいったとすれば、もっとです』

マーロウは、粒を、箱に戻した。


壁の上に戻ると、サイラス・メレディスが、待っていた。

もとは本部から掘削地へ来た記録係だった。黒い髪を油でなでつけ、丸い小さな眼鏡をかけて、この街でいちばん清潔な服を着ている男。一年前、掘削地から孤独の大地へ逃げて、帰りはマーロウたちと同じ荷車で西へ戻り、そのままこの街に残った。今は、硝子の板を預かって、帝国と街のあいだの紙を運んでいる。

サイラスは、息を切らしていた。走るサイラスを見るのは、二度目だった。

『帝都から、早馬が参りました』

「なんて」

『皇帝の名代が、船で、こちらへ参ります。二日後です。…施療所の件と、帝国の取り分の件で、と』

「セラフィナ・ロウか」

『名は、書いてありません。ですが、名代は、お一人です』

サイラスは、眼鏡を押し上げた。

それから、少し黙った。

『もう一つ、申し上げることがございます』

「言え」

『施療所の紙を、帝都へ運んでいたのは、私です。何年も。中に、本部行きの行があるのも、知っておりました』

サイラスは、マーロウの顔を見なかった。壁の外の海を見ていた。

『リーネ・ケインの行も、私が運びました』

マーロウは、何も言わなかった。

『私は、自分を悪人だと思っておりません。…思わないように、しておりました』

サイラスの声が、少しだけ震えた。

『今日から、思うことにいたします。ですから、名代の船が着くまでに、私が知っていることは、全部、お伝えします』

マーロウは、しばらく、サイラスを見ていた。

「…全部だぞ」

『全部です』

ミアが、帳面に書いていた。

名代まで、あと二日。荷車まで、あと五日。

第十一章 了