海壁

第十五章

残る人の帳面

挿絵:残る人の帳面

朝、ニムの店の一階で、ミアが帳面を二つ並べていた。

右が、乗る人の名前。左が、残る人の名前。

兵が東門の外で書いた紙を、ミアは夜のうちに全部、写してきていた。

ウィラが、右の帳面の頁をめくった。

「乗る人は、三十一組。百二人」

赤ん坊の名前もあった。まだ名前のない赤ん坊は、「ベンとリタの子」と書いてあった。

「残る人は」

『まだ、数えてない』

ミアが、言った。

『全部書くの。一人ずつ。…数えるのは、そのあと』

左の帳面は、まだ三頁目だった。いちばん上に、ハロルド・ドーセット。その下に、ウィラ・ドーセット・ケイン。ミアが、最初に書いた二つの名前だった。


昼前、サムが店に来た。

ミアの兄だった。去年、オットと一緒に三か月変わっていて、そのあいだのことを全部覚えていた男。痩せて、背が高い。ガスの家の隣で育って、ガスとオットの弟分だった。

サムは、右の帳面の前に立った。

それから、黙って、自分の名前を言った。

「…サム・ホロウェイ」

ミアの手が、止まった。

『兄ちゃん』

「ミアも、乗れ」

サムは、妹の顔を見なかった。

「三か月、自分が頭を下げるのを、後ろから見てた。止められなかった。…もう二度と、何かに連れていかれたくない。本部の手のひらの下に、おまえを置いておきたくない」

ミアは、筆を置いた。

『あたしは、書く』

「書くのは、向こうでもできる」

『ここの名前は、ここでしか書けない』

ミアの声は、震えていなかった。

『兄ちゃんが乗るなら、止めない。兄ちゃんの名前も、ちゃんと書く。…でも、あたしは残る』

サムは、長いこと、黙っていた。

戸口に、ガスとオットが立っていた。いつからいたのか、分からなかった。

ガスが、三本の指で、サムの肩を叩いた。

行くなよ、とガスは言った。行くなよ。三回目は、短かった。行くな。

オットは、何も言わなかった。サムの横に並んで、立っていた。子どものころから、そうしてきたように。

サムの肩が、下がった。

「…妹を置いて、行けるわけ、ないだろ」

ミアは、右の帳面の、兄の名前の上に、細い線を一本引いた。消さなかった。線を引いて、横に小さく書いた。

残る。

それから、左の帳面に、サム・ホロウェイ、と書いた。


午後、壁の上に、ガルドとグロムとサイラスが集まった。

「荷車は、あさっての朝だ」

マーロウは、北の端を見た。

「骨が壁の中に入る前に、荷台で壊す。骨だけなら、箱はない。割っても、何もほどけない」

『番の手が、ついとるぞ』

ガルドが、言った。

マーロウは、壁の石に手を当てた。

「本部。荷車に、手は、いくつつける」

壁の声は、すぐに答えた。

『二十四です』

「…すぐ答えたな」

『訊かれましたので』

ミラベルが、指を折って数えていた。十まで折って、足りなくなって、途中でやめた。

「ミラベル」

『二滴目』

「分かった」

サイラスが、眼鏡を押し上げた。

『名代の兵は、船を守ると聞いております。荷車は、本部のものだと。…名代が、そう言ったそうです』

マーロウは、サイラスを見た。

「あの女が、そう言ったのか」

『はい。昨夜、娘御を寝かしつけたあとに』


夕方、ベルが、杭の数字を持ってきた。

『今朝も、指の関節、一つ分です』

ベルは、少しだけ、首を傾げた。

『ミアの帳面を、見ました。左の帳面は、七頁になっていました』

「そうか」

『私の名前も、書いてありました。ベル、とだけ』

ベルは、自分の胸に手を当てた。

『残る人の帳面に名前があると、胸の内側が、少し重くなります。この前の、重いのとは、違う重さです』

ミラベルが、横で、ベルの顔を覗きこんだ。

「それはね、たぶん、ここがうちだって、思ってるってこと」

『うち』

「帰るとこ」

ベルは、その言葉を、口の中で一度だけ転がした。

『…うち、です』

「ああ。うちだ」

マーロウが言うと、ミラベルが、マーロウのほうを振り向いた。

『坊や。あたしも、うちって言っていい? ここ』

「…とっくに、うちだろ」

ミラベルは、返事をしなかった。代わりに、マーロウの腕に、自分の腕を絡めた。

西の海に、日が沈みかけていた。杭の列の先で、波が、まだ寄せていた。

荷車まで、あと二日だった。

第十五章 了