第三十三章
待ってます

その日の夜遅く、三人は、東の哨所の囲いに着いた。
朝になって、囲いの外の麦畑が、緑に戻っているのが見えた。全部ではなかった。焼けて倒れた列の半分から、新しい葉が、膝の高さまで伸びていた。
ハーランが、麦のあいだに立っていた。
『…半分は、戻ると言ったろう』
眉のない顔で、ハーランは、少しだけ口の端を上げた。
『根が、生きていたからな』
その昼、空から、大きな影が降りてきた。
灰白色の、大きな翼だった。
翼をたたんで、囲いの外に降り立ったのは、獅子の体の女だった。ラーナ・オーヴェイン。姉のシビルの翼を、自分の背に継いだ女。畑で、息を引き取る一を、その翼で覆った女。
ラーナは、首に下げた革の筒を外して、マーロウに差し出した。
『畑の監督官から。海壁の街から船で都へ、都から翼で畑へ、届いた手紙です。…あなたを探して、三日飛びました』
「すまん」
『いいえ。…あの子の字です』
マーロウは、筒を開けた。
紙が一枚、丸めてあった。
開くと、見覚えのある字が並んでいた。一年あまり前、東へ向かう荷車の上で、ロズリンに習いはじめた字。去年より、ずっと、まっすぐになった字。
帝国暦三四九年、春の終わり。海壁の街にて。
父さんへ。マーロウのほうの父さんへ。
着いたよ。四日で着いた。船、ちょっと酔った。
母さんのお墓、あった。東門の外の丘の、白い石。白い花の木の根元。父さんが、杖ついて、毎朝行ってる。草の汁も、毎朝一口、飲んでる。すごく苦いって、毎朝言ってる。
ミアもガスも元気。ベルも。ベルは、あたしの顔見て、おかえりなさいって、ちょっとだけ笑った。
それでね、海が、変なの。
壁の外の海が、毎朝、指の関節ひとつ分ずつ、引いていく。夜、壁の中で、何かが低く鳴ってる。ベルが、波打ち際に杭を打って、毎日、測ってる。
怖くない、って言ったら、うそになる。
でも、父さんが二人いるから、大丈夫。一人は、ここにいて、もう一人は、たぶん今ごろ、どこかで誰かを迎えに行ってる。
字、うまくなったでしょ。
待ってます。
ウィラ・ドーセット・ケイン。
マーロウは、手紙を、二度読んだ。
二度目は、声に出さずに、唇だけ動かして。
ミラベルが、横から覗きこんでいた。途中から、鼻をすすっていた。
『…嬢ちゃん、名字、三つになってる』
「二つだ。ドーセットと、ケイン」
『長くなったね』
「持ってるって、言ったからな。二つとも」
マーロウは、手紙を畳んで、胸の内側にしまった。ロズリンの帳面から切った白い頁が、ドラグの胸の内側にあったように。
ミラが、西の空を見ていた。金属の目が、細くなった。
『…海、遠い』
「遠いな」
『でも、行く』
「行く」
その夜、マーロウは、囲いの石の上で、ミラベルの横に座っていた。
二年のうちに、西の海がなくなる。
壁の中の腕を止めなければ、ウィラの街の海が、なくなる。十二人を起こして、塔の下の椅子に座らせなければ、本部は、止まらない。
やることは、多かった。
ミラベルが、マーロウの肩に、頭を乗せた。
『ねえ、坊や』
「なんだ」
『あたし、強いでしょ』
「一番強い」
『でも、坊やがいないと、三日で止まる』
「知ってる」
『だから、一番強いあたしは、一番、坊やのそばにいなきゃいけないの』
ミラベルは、マーロウの左手を取った。赤い紐の上から、指を絡めた。
『離れないで。…二年でも、二十年でも』
マーロウは、しばらく、星を見ていた。
それから、言った。
「…今日も、いた」
ミラベルが、顔を上げた。
「明日も、いる。その次も。…数えるのをやめる日まで、おれは、おまえの横で数える」
ミラベルは、何も言わなかった。
言えなかった。マーロウの肩に顔を押しつけて、声を出さずに、泣いていた。
次の朝、ミラベルは、マーロウの指から、朝の一滴を受けた。
ハーランが、焼けて戻った麦の縁に立っていた。ラーナが、翼を広げていた。
三人は、西へ歩きだした。
海のほうへ。
二年のうちの、五日目だった。
第三十三章 了
第六巻 了
