海壁

第七章

拾われた子

挿絵:拾われた子

屋根裏の小さな窓から、朝の光が入っていた。

ミラベルは、先に目を覚ましていた。毛布の中で、マーロウの寝顔を見ていた。

昨夜のことを思い出して、毛布を頭までかぶった。

しばらくして、そっと顔を出した。マーロウの目が、開いていた。

「…起きてたのか」

『起きてた。見てた』

ミラベルは、マーロウの左手を取った。人差し指の先を、鉤の先で、ほんの少しだけ突いた。ふくらんだ赤い点を、唇で受けた。

それから、指を握ったまま、額をマーロウの胸に押しつけた。

『…朝ごはん。いつもより、あったかい』

「同じ一滴だ」

『同じじゃない』

ミラベルは、顔を上げなかった。

『爺さんの家で食べる、初めての朝ごはんだもん』

マーロウは、天井の梁を見ていた。耳が、赤かった。


梯子を下りると、ネルが竈の前にいた。

目が、少し赤かった。夜中に帰ってきた、とピップが言った。

ネルは、鍋をかき回しながら、振り向かずに言った。

『屋根裏、床が鳴るんだよ。言い忘れてた』

ミラベルが、マーロウの背中に隠れた。

「何の音?」とピップが訊いた。

『ねずみだ』

「でかいねずみだね」

『でかいねずみだ』

マーロウは、何も言わずに、椀を受け取った。

店の前の荷車では、ロズリンが、ドラグの腕にもたれて眠っていた。膝の上に、施療所の台帳の写しが開いたままだった。夜通し、写していたらしかった。

ドラグは、三時間、動いていない、とミラが言った。見ていた、と。

ネルが、戸口から、それを見た。

「…あんたら、いつから?」

ロズリンが、目を覚ました。自分の頬がどこに乗っていたか気づいて、帳面で顔を隠した。

『何が、ですか』

ドラグは、しびれた腕をさすりながら、咳払いをした。

「書くやつが寝とる。動かすわけにいかん」


ネルは、朝飯のあと、マーロウを掘り場の縁へ連れていった。

谷の崖に、昔の街の瓦礫が、何十層にも重なっていた。穴の口から、掘り手たちが鉄を担いで出てきた。

ネルは、崖の縁に座った。

『昨日、書記さんに言われて、何も言えなかった』

「十二の家の、一人かもしれない、ってやつか」

『違うんだよ』

ネルは、谷を見たまま、言った。

『あたし、親父の子じゃない。二十六年前の冬、掘り場の詰め所の前に、布にくるまって置いてあった。親父が拾った。…誰の子かは、知らない』

マーロウは、黙っていた。

『グリムの血は、親父で終わりだ。あたしには、一滴もない』

ネルは、膝の上で、手を握った。

『変だと思わないか。本部が、本当に家を刈ってるなら、三年前、親父と一緒に、あたしも指定したはずだ。されなかった。本部は、知ってたんだよ。あたしが違うって』

「…じゃあ、なんで今になって指定した」

『知らないよ。それが、いちばん気味悪い』


マーロウは、しばらく、崖の穴を見ていた。

「おれも、ふつうには産まれてない」

ネルが、振り向いた。

「母さんは、おれを産んだ。でも、中身は、本部が用意した材料だ。…作られたようなもんだ」

『…何の話だ』

「ウィラって娘がいる。拾った。三年半前から、勝手におれの荷車に乗ってる」

マーロウは、言った。

「あいつには、父親が二人いる。産んだほうの親父と、おれだ。名字も、二つ持ってる。ドーセットと、ケイン。…あいつは、二つとも持ってると言った」

ネルは、何も言わなかった。

「名字は、血でもらうもんか。おれは知らん。ただ、あいつがケインを名乗ったとき、おれは、取り上げる気にはならなかった」

ネルの目から、涙が一つ、落ちた。

『…親父は、あたしのこと、一回も、拾った子って呼ばなかった』

「そうか」

『二十六年、一回も』


小石が、崖の上から転がってきた。

ピップだった。木の脚で、斜面をずり下りてきた。後をつけてきたらしかった。

ピップは、ネルの前に立った。

「聞いた」

『…どこから』

「拾われたとこから」

ピップは、自分の木の脚を、手で叩いた。

「ネルが拾われた子なら、おれも拾われた子だ。…おそろいだ」

ネルが、口を開けた。何も出てこなかった。

ピップは、少し迷ってから、言った。

「…かあちゃん」

初めてだった。

ネルは、ピップを、両腕で抱きしめた。煤だらけの腕で、骨が鳴るほど。声を上げて泣いた。二十六年ぶんと、三年ぶんを、まとめて。

坂の上から、ミラベルとミラが下りてきていた。

ミラベルは、ネルの横にしゃがんで、背中を叩いた。

「あたしもグリムだよ。血なんか、一滴もないけど」

ミラが、木の腕を持ち上げた。

『ミラも』

ネルは、泣きながら、笑った。


昼、ネルは、ロズリンの前に立った。

目は腫れていたが、声は、いつもの声だった。

「書記さん。本部に、訊いてくれ」

『何を、ですか』

「親父が、生きてるか」

ロズリンは、硝子の板を、胸に抱えた。

『今夜、訊きます』

第七章 了