第二十四章
埃のない床

白い道は、錆びない金属でできていた。
荒れ地の真ん中を、まっすぐ東へ。幅は、荷車が四台並べるほど。継ぎ目が一つもなく、砂が一粒も乗っていなかった。
馬車は、その上を、音もなく走った。
二十二日目の昼、窓の外に、塔が見えた。
一年前に見たのと、同じだった。崩れていない高い建物が、何十本も。昼なのに、白い灯りが点いていた。
孤独の大地だった。
馬車が止まったのは、塔の根元の、広い門の前だった。
セラフィナが、マーロウの口の布をほどいた。手首の鎖も、外した。
『ここから先は、本部のものです。私の仕事は、ここまで』
門の脇に、硝子の板が一枚、立っていた。白い字が浮かんでいた。セラフィナは、それを読んで、小さく頷いた。支払いの約束の字なのだろう、とマーロウは思った。
セラフィナは、馬車の戸口に立ったまま、振り返った。
『あなたの一番は、来ますよ』
「知ってる」
『一滴もないまま。…三日目で止まる、と本部は数えています』
マーロウは、セラフィナを見た。
「来たら、あんたの手袋は、全部ばらばらになる」
『でしょうね』
セラフィナは、白い手袋の指を、軽く曲げた。
『私は、もう、ここにはおりません。帝都へ戻ります。…今夜も、娘の部屋に、灯りが点きます』
馬車の戸が、閉まった。
黒い馬車は、白い道を、西へ戻っていった。
門の中に、若い女が一人、立っていた。
埃一つない、寸法ぴったりの灰色の服。整えた髪。考えているのでも、探しているのでもない顔。
『お待ちしておりました。エミル・ハーグレイヴと申します』
マーロウは、足を止めた。
ハーグレイヴ。赤い砂の上で、ロズリンが読み上げた十一の名字の一つ。本部行きの写しにも、二つあった名字。
「あんたの家は、どこだった」
『東の谷の、塩を掘る家でございました』
女は、すらすらと答えた。
『お体を、洗われますか。湯を、桶に三杯、ご用意しております』
一年前と、同じ言葉だった。
マーロウは、少しだけ、笑った。
「…いらん。オーウェン・グリムに会わせろ」
白い廊下の突き当たりで、壁が、喋った。
『おかえりなさい、一〇六番』
抑揚のない声だった。一年前、この建物で聞いた声。壁の向こうに落ちた船の中で、最初に聞いた声。
本部だった。
『来てくださって、ありがとうございます』
「来たんじゃない。売られたんだ」
『はい。帝国から、買いました。あなたが自分では来ないと、計算したからです』
マーロウは、壁を見た。
『お伝えします。あなたが原型になれば、西の海は、粒にしません。オーウェン・グリムの熱も、下げる手当てをします』
「脅しか」
『いいえ。計算です。脅しは、嘘を含みます。私は、嘘をつきません』
壁の声は、少しも揺れなかった。
『あなたが、自分で決めるまで、待ちます。急ぎません。…ただ、一番は、こちらへ来ます。一滴もないまま。今朝の一滴から数えて、三日目の昼ごろに、止まります』
マーロウの拳が、握られた。
痛くなかった。痛くないのが、今日ほど腹立たしいことはなかった。
オーウェン・グリムは、白い部屋の、白い寝床に寝ていた。
五十を過ぎた人間の男だった。灰色の髪が、汗で額に張りついていた。頬がこけていた。指が、長くて、節くれだっていた。ネルと同じ、手を使う者の指だった。
熱のせいで、息が浅かった。
マーロウは、寝床の横に、膝をついた。
「オーウェン」
オーウェンの目が、一拍、止まった。
濁った目が、ゆっくり、マーロウのほうへ動いた。
「あんたの娘が、迎えに来る。ネルが」
オーウェンの唇が、動いた。
声は、ほとんど出なかった。
それでも、マーロウには、聞こえた。
『…ネル』
もう一度、唇が動いた。
『…うちの、娘』
マーロウは、しばらく、何も言えなかった。
二十六年、一度も、拾った子と呼ばなかった男。変わって、三年、後ろから自分を見ていた男が、最初に口にしたのが、それだった。
「…ああ」
マーロウは、オーウェンの節くれだった手を、握った。
「あんたの娘だ。あいつが来るまで、待ってろ」
第二十四章 了