海壁

第二十八章

十二の座

挿絵:十二の座

「呼んでないぞ」

マーロウが言うと、エミル・ハーグレイヴは、少しだけ首を傾けた。

『…はい。呼ばれておりません』

「じゃあ、なんで来た」

エミルは、長いこと黙っていた。

『三日前、家はどこだったかと、訊かれました。…塩を掘る家のことを、あの日から、何度も、見ております』

アディと、同じだった。

名字を呼ばれ、家を訊かれた者が、自分から、何かをしはじめる。

マーロウは、エミルの前に立った。

「ここにいる人の名前を、全部、言えるか」

『言えます。三百十四名』

「十二人の家の名字の者は」

『ハーグレイヴ、ノール、ストラウド、クロスリー、ミルバーン、ローウェル、グリム、フェンウィック、アッシュクロフト、ブラックウッド、ラングレー。…ケインは、おりません』

エミルは、すらすらと言った。

赤い砂の上で、ロズリンが最後まで読めなかった四つの名字が、そこに混じっていた。

「この建物に、十二、って数のつくものは、あるか」

エミルは、答える前に、一度だけ、天井を見た。

『塔の下に、椅子が、十二ございます。誰も座ってはならない、と言われております』


塔の下の部屋は、丸かった。

床も壁も、錆びない金属だった。真ん中に、椅子が十二、輪になって並んでいた。どれも、人が一人座れる大きさ。背もたれに、模様が一つずつ刻まれていた。

十二の模様は、どれも違っていた。

マーロウは、一つの椅子の前で、止まった。

その模様を、知っていた。

粒に打たれる、帝国の刻印。エリスの血の結び目の形。

「…ケインの席だ」

ミラベルが、マーロウの袖をつかんだ。

椅子の肘掛けに、手のひらの形の窪みがあった。

マーロウは、噛み切った指の腹を、その窪みに押し当てた。

床に、光が走った。

椅子の足もとから、輪の中心へ、細い光の線が一本。十二本あるはずの線のうちの、一本だけ。

壁が、喋った。

『ケインの席を、確認しました』

声が、ほんの少しだけ、遅かった。

『十二のうち、一』


ミラベルが、息を吸った。十二、そろえたら、と言いかけた。

「止まる」

マーロウは、光の線を見ていた。

「エリスが、言ったとおりだ。…オーウェンがいる。ハーグレイヴがいる。ノールは、アディがいる。ここに、家の者が、何百人もいる」

壁が、喋った。

『お伝えします』

抑揚のない声だった。

『十二がそろう見込みが、上がりました。見込みが、ある値を超えたとき、私は、孤独の大地にいる十二の家の者を、粒にします』

部屋が、しんとした。

『本部行きの者、二百八十九名。粒にする桶は、この建物の北の端に、三十二あります。八十年、乾いたままでしたが、動きます』

マーロウは、一年前に見た部屋を思い出した。人が横になれる大きさの桶。底に塩の輪。

「…そのために、生かしてたのか」

『生かしていたのは、変わった者は、止める言葉を言わないからです。言う見込みが出れば、生かしておく理由は、なくなります』

ミラベルの手が、剣の柄を握った。

『一〇六番。原型になれば、見込みは、下がります。粒には、しません』

「…外へ連れて出れば」

壁は、一拍、黙った。

『孤独の大地の外では、私の手は、少ししか届きません。桶も、ここにしかありません』

嘘は、つかない。

マーロウは、振り返った。

エミルが、部屋の入り口に立っていた。

「エミル」

エミルの目が、一拍、止まった。

「二百八十九人の名前を、明日の朝までに、全部、言え。おれが、一人ずつ呼ぶ」

『…呼んで、どうなさいますか』

「ここから、歩いて出る」

ミラベルが、剣を抜いた。光の線を、背にして。

『あたしの今日の全部は、もう使っちゃった。…明日の全部は、残ってる』

第二十八章 了