第五章
噛む兵

施療所の兵が、八人、坂を下りてきた。
寝間着のような服に、革の胸当て。襟に、数字の札。腰に、小さな袋を一つずつ下げていた。
その後ろに、グレイが立っていた。
通りの両側に、町の者が出てきていた。誰も、声を出さなかった。
役人が、店の前で紙を広げた。
『ネル・グリム。本部の指定により、施療所へ』
ネルは、戸口に立っていた。金槌を、腰の帯に差していた。
「三年前、あんたらは、親父が熱で死んだって言いに来た。…親父を返せ」
役人は、答えずに、グレイを振り返った。
グレイは、目を閉じて、一度だけ言った。
『噛め』
八人が、袋から粒を出して、口に入れた。
噛んだ。
兵たちの首筋に、白い光の筋が浮かんだ。筋は、腕へ、指の先へ、枝のように広がった。目の色が、白く抜けた。
一人が、跳んだ。
家の屋根まで。錆びた鉄の板が、足の下でへこんだ。
もう一人が、店の戸を殴った。鉄の板の戸が、紙のように折れ曲がって、中へ吹き飛んだ。
ドラグが、その兵に組みついた。
オークの腕が、光る腕を押さえこんだ。押さえこんだ手のひらから、煙が上がった。熱かった。ドラグは、放さなかった。
「…十倍、どころじゃないな」
ミラベルが、走った。
屋根から降ってきた兵の拳を、片手で受け止めた。家の戸を殴り折る拳だった。ミラベルの腕は、少しも下がらなかった。
そのまま、兵を地面に押さえつけた。
二人目。三人目。四人目。
息を一つするあいだに、ミラベルは、光る兵を四人、両腕と両膝で、一度に押さえこんでいた。四人がもがいても、ミラベルの体は、揺れもしなかった。
刃は、伸ばさなかった。
『坊や! 押さえてても、この人たち、あっつくなってく!』
押さえた兵の肌が、赤く、ひび割れはじめていた。ミラベルの服が、熱で焦げていた。押さえても、中で燃えるのは止まらなかった。
マーロウは、左の手のひらを、鉤で一本、切った。
ドラグが押さえている兵の前に、回りこんだ。
兵の口が、白く光っていた。噛みしめた歯のあいだから、濡れた光が漏れていた。
マーロウは、血のついた親指を、その口の端から、ねじこんだ。
舌の上の唾に、血が触れた。
口の中の水が、消えた。小さな粒が一つ、歯のあいだからこぼれた。
兵の口の光が、ちらついた。
乾いた舌の上で、噛んでいた古い粒が、光を失った。
首筋の白い筋が、指の先から、すうっと引いていった。
兵は、ドラグの腕の中で、膝をついた。肌から、湯気が上がっていた。焼けてはいなかった。
「…止まりました」
ロズリンが、荷車の陰で、帳面を握りしめていた。
「濡れていなければ、ほどけない。…本当でした」
二人目、三人目。
マーロウは、ミラベルが押さえこんでいる兵の口に、次々と血をねじこんだ。三人目で、手のひらの線が塞がった。
『二本目だよ! 最後の!』
ミラベルが叫んだ。
マーロウは、二本目を切った。
店の裏で、悲鳴が上がった。
「ネル!」
屋根の兵が、ピップを片腕で抱え上げていた。邪魔なものを、どかすように。
ミラベルは、まだ二人を押さえていた。放せば、その二人が、通りの人垣へ跳ぶ。
屋根の反対の端に、ミラがいた。見張っていた。見ているのが、仕事だった。
ミラは、屋根を蹴った。
木の指が、兵の手首をつかんだ。光る腕の熱で、木が焦げて煙を吐いた。ミラは、放さなかった。肩を回した。鉄の蝶番がきしんで、兵の腕がピップから離れた。
もう片方の腕を曲げて、落ちてくるピップを、肘の内側で受けた。
三人とも、屋根から通りへ落ちた。ミラが下になった。刃の体は、それくらいでは壊れなかった。
ピップが、焦げた木の腕の中で、目を丸くしていた。
「…熱くない?」
『熱い。…でも、持った』
ミラは、自分の腕の中の小さな体を見下ろしていた。
『…はじめて。持った』
ネルが、駆け寄って、ミラが押さえている兵の顔を見た。
「…ヤン。ヤン・コワルじゃないか。鍛冶屋の。去年の夏に、熱で死んだって」
兵の目が、一拍、止まった。
マーロウが、その口に、血をねじこんだ。光が引いた。
「ヤン! あんたの女房、まだ鍛冶場やってるよ! 毎朝、火、入れてるよ!」
兵の目が、動いた。ネルの顔を見た。
人垣から、オークの女が飛び出してきた。前掛けに、鉄粉がついていた。
『ヤン!』
その声で、町の者たちが、光る兵の顔を見はじめた。
「…トマス! パン屋のトマスだろ!」
名前が飛んだ。呼ばれた兵が、一拍止まる。そのあいだに、マーロウが口に血を入れる。一人ずつ、光が消えていった。
最後の一人だけ、誰も名前を知らなかった。肌が、もう焼けはじめていた。マーロウの手のひらの線は、塞がっていた。
グレイが、その兵の前に立った。
『止まれ』
兵が、止まった。
『吐き出せ』
兵が、粒を吐いた。
グレイは、それを、軍靴で踏んだ。
グレイは、ドラグのほうを向いた。
『命は、果たせなかった。帰って、そう書く』
「書くやつが横におると、正直になるだろう」
『…そうだな』
グレイは、町の顔ではない兵を連れて、坂を上がっていった。途中で、振り返らずに言った。
『次に来るのは、私ではない』
その日の昼、施療所の窓のない部屋から、瓶が何百も運び出された。深い水で変わらないドラグと、町のオークたちが、日向の石の庭に並べて、交代で番をした。日に当たれば、中の暗がりの生き物は、一日ほどで死ぬ。人間は、柵の外から見ていた。
ハルデンの施療所、止まる。四十のうち、一つ目。
ロズリンが、そう書いた。
ミラは、庭の隅で、ミラベルに粒を一つ食べさせてもらっていた。一の粒だった。マーロウの袋は、五百八十五になった。
「姉ちゃんより、かっこよかった」
『…ほんと?』
「ほんと。ちょっとだけ、妬いた」
第五章 了