海壁

第三十一章

二年

挿絵:二年

夜更け、ロズリンの膝の上で、硝子の板が、ひとりでに光った。

ロズリンは、それを持って、火のそばのマーロウのところへ来た。ミラベルが、マーロウの肩から、顔を上げた。

白い字が、並んでいた。

お伝えします。

十二の家の者が、孤独の大地を出ました。見込みが、変わりました。

海壁の仕掛けを、急がせます。

西の海が粒になるまで、三年ではありません。二年です。

火が、ぱちりと鳴った。

板に、もう一行、浮かんだ。

十二の席は、塔の下にあります。いつでも、来てください。

それから、字が消えた。

誰も、しばらく、口をきかなかった。

「…一年、縮んだ」

マーロウが、言った。

『海壁の街には、ウィラさんがいます』

ロズリンの声が、かすれた。

『ハロルドさんも。ミアさんも、ガスさんも、ベルさんも。…二年で、あの街の海が、なくなります』

ミラベルが、剣の柄を握った。壊しに行く、とミラベルが言った。あの仕掛けも、腕も、全部。

「壊すだけじゃ、足りない。本部は、また作る」

マーロウは、火を見ていた。

「止めるには、十二がいる。…十二は、今、ここにいる。まだ、変わったままだが」


次の朝、白い道の脇に、全員が集まった。

エミルを入れて二百八十九人の灰色の服。板の上のオーウェン。ハンナ・ノールの横に、アディ。

ロズリンが、帳面を開いた。

『変わった人を戻す道は、二つです。施療所の瓶で変わった人は、同じ深い水を毎日一滴、三か月。それか、一さんの輪の草の汁』

「畑だな」

ドラグが言った。

「掘削地まで戻って、そこから南へ三日半。畑には、ティルダがおる。輪もある。…二百八十九人、全部、預かってくれる」

『預かります、と言うと思います。いつか、帰るまで、と』

ロズリンが、少しだけ笑った。

マーロウは、全員を見回した。

「列は、畑へ行く。ドラグが、頭だ」

ドラグが、頷いた。

「ロズリンが、名前を持っていく」

ロズリンが、帳面を胸に抱いた。

『名前を持っている人たちの列には、書く人が、要ります』

「おれと、ミラベルと、ミラは、西へ行く。海壁の街へ」

ミラベルが、マーロウの袖を、ぎゅっとつかんだ。離れないで済む方の組だった。それでも、ミラベルの手は、少し震えていた。

『…ロズリンたちと、しばらく、離れるんだね』

「ああ」


ネルが、オーウェンの板の横で、顔を上げた。

『あたしは、親父と、畑へ行く。治ったら、ハルデンに帰る。ちびが、待ってる』

アディが、母親の手を取ったまま、自分も畑へ参ります、と言った。母と。戻ったら、北のヴェルンに、窯を探しに行きます、と。

丁寧な言葉だった。けれど、「戻ったら」と言ったのは、アディ自身だった。

エミルが、列の端で、手を上げた。

『私も、参ります。…塩を掘る家を、見に行きたいと、昨日から、思っております』

思っております。

ロズリンの筆が、その一言を、書き留めた。


昼、ミラベルは、帳面に名前を写しているロズリンの横に、しゃがんだ。

「ロズリン」

『はい』

「ドラグのこと、よろしくね。あの人、書く人がそばにいないと、すぐ無茶するから」

ロズリンの筆が、止まった。

『…知っています』

ロズリンは、眼鏡を押し上げた。

『あなたも。マーロウさんを。…あの人は、痛くないから、すぐ自分を切ります』

「知ってる。一日二本までって、約束させてる」

『守っていますか』

「守ってない」

二人は、顔を見合わせて、同時に吹き出した。

それから、ミラベルは、ロズリンの首に、両腕を回した。金属のほうの腕も、そうでないほうの腕も。

ロズリンは、帳面を膝に置いたまま、しばらく、動かなかった。


その夜、ネルは、ミラの木の腕を、膝の上で直していた。

指が二本しか残っていなかった。ネルは、道具箱の底から、削りかけの白い木を出して、新しい指を三本、刻んだ。

「グリムの腕は、グリムが直す」

『ネル、畑に行く』

「行く」

『ミラ、西に行く』

「知ってる」

ネルは、最後の指を、鉄の腱につないだ。ミラが、肩を上げた。五本の指が、全部、閉じた。

ネルは、ミラの木の手を、自分の両手で包んだ。

「…壊したら、また直してやる。どこにいても、持ってきな」

『遠い』

「遠くても、持ってきな」

ミラは、五本の指で、ネルの手を、そっと握り返した。

『…分かった』

第三十一章 了