海壁

第十三章

設計どおり

挿絵:設計どおり

ミラベルが、消えた。

立っていた場所の砂が、輪になって、外へ吹き飛んだ。差し渡し五メートルの輪。音は、そのあとで来た。

次に見えたとき、ミラベルは、崩れた手のひらの上にいた。

金属の左手を、箱の縁にかけた。

引き剥がした。

それから、走った。

東へ。荒れ地のほうへ。

足音は、しなかった。足が地面に着く前に、次の足が出ていた。風が、頬の皮膚を後ろへ引っぱった。腕の中で、箱の光が、どんどん熱くなった。

生まれてこのかた、こんなに速く走ったことはなかった。いつも、粒を惜しんで、半分で止めていた。

…これが、あたし。

ミラベルは、走りながら、笑った。

ミラベルの背中が、息を三つするあいだに、豆粒ほどになった。五百メートル。それ以上。

遠くで、ミラベルが、箱を投げた。

白い光が、ふくれあがった。

荒れ地の真ん中に、光の丸い屋根が立って、ゆっくり消えた。

音と風が、遅れて届いた。囲いの石が鳴った。麦が、一度だけ、全部同じ方向に伏せた。

光が消えた場所の地面は、硝子になっていた。差し渡し、五十メートル。

全部は、ほどけきらなかったのだろう。それでも、これだった。マーロウは、そう思った。


誰も、しばらく、口をきかなかった。

ハーランが、焼けた麦のあいだに立って、東を見ていた。

『…あれが、本部の、最初の刃か』

「二百十一年」

ドラグが、低く言った。

「腹を空かせたまま、戦っとったのか。あいつは」

荒れ地の向こうから、ミラベルが歩いて戻ってきた。

手を振っていた。笑っていた。

囲いの手前で、膝が、折れた。

マーロウは、走った。

ミラベルは、砂の上に倒れていた。唇が、白く乾いてひび割れていた。頬の皮膚が、紙のように張りついていた。

『…あは。ちょっと、燃やしすぎた』

マーロウは、鉤の先で、人差し指を突いた。赤い点を、ミラベルの唇に押し当てた。

ミラベルが、それを吸った。

ことり、と胸の奥で音がした。

唇の色が、ゆっくり、戻ってきた。


ミラベルは、マーロウの膝に頭を乗せたまま、空を見ていた。

『全部出すとね、体の中の水を、一気に燃やしちゃうの。坊やの一滴がないと、そのまま、止まる』

「一日に、何回できる」

『たぶん、一回。坊やがそばにいれば、ね』

ミラベルは、マーロウの手を、自分の胸に当てた。

『坊やが遠くにいたら、全部は出さない。出したら、帰ってこられないもん』

マーロウは、しばらく黙っていた。

「…なら、離れない」

『うん』

ミラベルは、マーロウの顔を見上げた。

『ねえ。あたし、強い?』

「一番強い」

マーロウは、言った。

「前から知ってた。…腹を空かせてるおまえを見てるのが、ずっと、嫌だった」

ミラベルの目に、涙がにじんだ。

ミラベルが、手を伸ばして、マーロウの襟をつかんだ。そのまま、引き寄せた。

「唇、乾いてる」

『いいの』

マーロウは、身をかがめた。


ネルが、足を引きずって、二人のところへ来た。

ミラベルの前に、しゃがんだ。

『…あんたに、借りができた』

「借り?」

『ご先祖の手に握りつぶされるとこだった。そのご先祖の手を、あんたが、ばらした』

ネルは、崩れた金属の指を見て、それからミラベルを見て、口の端を曲げた。

『うちの家の仕事を、全部、あんたが切り刻んだわけだ』

ミラベルは、マーロウの膝の上で、けらけら笑った。

「親戚だもん。借りなんか、ないよ」

ネルは、何か言い返そうとして、やめた。ミラベルの乾いた髪を、煤のついた手で、ぐしゃぐしゃにした。


アディ・ノールは、荷車の横に、ずっと立っていた。

崩れた手を見ていた。それから、囲いの内側で、足を押さえているネルを見た。

アディは、ネルの前まで歩いていった。

『…お怪我は、ございませんか』

ネルが、顔を上げた。

ロズリンが、帳面を持ったまま、動かなくなった。

何も言われていないのに、アディが、自分から訊いた。

その夜、硝子の板が、ひとりでに光った。

一番の出力が、設計の値に達したことを、確認しました。

計算を、やり直します。

三年のうちの、十三日目だった。

第十三章 了