第六章
帳面の続き

昼過ぎ、施療所の前に、町の者が集まっていた。
百人。二百人。まだ増えた。
ロズリンが、施療所の台帳を開いて、石段の上に立った。ハルデンの施療所の台帳だった。二十年ぶんで、三百十二名。
行き先の欄は、ほとんどが、共和国行きだった。
ロズリンは、一行ずつ、読み上げた。名前と、年と、行き先を。
読み上げるたびに、人垣のどこかで、声が上がった。泣く声だった。息を呑む音だった。
『共和国行きの人たちは、南の畑に寝かされています』
ロズリンは、声を張った。
『監督官が、預かっています。いつか帰るまで、と言って。…目を開けて、名前を言った人も、います』
人垣の前のほうで、年寄りのゴブリンの女が、両手で口を押さえた。
「…生きてるのかい。うちの子は」
『眠っています。でも、生きています』
その日の夕方には、町の者たちが、荷車を三台そろえていた。南の畑まで、迎えに行くという。
ロズリンは、読み上げた名前を、全部写した。監督官ティルダ・ノームへの手紙に、添えるためだった。
ハルデンの家族が、迎えに行きます。三百十二名のうち、分かるかぎり。
ヤン・コワルは、鍛冶場の前に座っていた。女房のオークが、その横で、鉄を打っていた。ヤンは、その音を、ずっと聞いていた。
夜、ネルの店で、ネルが帳面を開いた。
いちばん最初の頁だった。紙は茶色く、指で触れると崩れそうだった。字は、細く、きちんとしていた。
ネルが、読んだ。
オーガスト・グリム。十二人のうちの一人。手の係。
機械が、物に触れるための手を作った。
子らへ。私たちは、十二人で一つの機械を作った。止めるのも、十二人だ。名字を、捨てるな。
店の中が、静かになった。
「意味、ずっと分からなかった」
ネルは、頁を撫でた。
「機械なんか、見たこともないし。うちは、掘り場で手足をなくしたやつに、木の手を作ってるだけだ。…でも、名字だけは、代々、捨てなかった。そう書いてあるから」
ロズリンが、帳面の字を見ていた。
『エリスさんと、同じことを言っています』
ロズリンの声が、少しかすれた。
『名前を、台帳じゃないところに、残しておいて。…エリスさんは、最後に、そう言いました』
ネルが、ミラベルの左腕を見た。
「…なに?」
『ちょっと、見せな』
ミラベルは、戸惑いながら、金属の手を差し出した。
ネルは、指の関節を一本ずつ曲げた。手のひらを返した。手首の継ぎ目に、灯りを近づけた。
それから、自分の作業台の上の、作りかけの木の手を取った。
二つを、並べた。
『…腱の通し方が、同じだ』
ネルの声が、低くなった。
『指の腱を、手首で一度交差させて、肘へ引く。うちのやり方だ。じいさんから親父に、親父からあたしに教わった。…ほかの手足屋は、こうしない』
ミラベルは、自分の手と、木の手を、交互に見た。
「じゃあ、あたしの腕…」
『うちのご先祖が考えた形だろうね。手の係ってのが、そういうことなら』
ミラベルの顔が、くしゃくしゃになった。
「親戚!」
『は?』
「あたし、ネルの親戚! 爺さんの名字もらって、爺さんの爺さんの爺さんの形の腕で、ずっと動いてきたの! 親戚じゃん!」
ミラベルは、ネルに飛びついた。
ネルは、金槌を持ったまま、よろけた。
『…重い。金属のほう、重い』
それでも、ネルは、振りほどかなかった。
ミラが、木の腕を、ぎこちなく持ち上げた。二人の背中に、そっと当てた。
マーロウは、戸口の柱にもたれて、それを見ていた。
ネルが、ミラベルの肩越しに、マーロウを見た。
『今夜は、屋根裏、使いな。狭いけど、二人なら入る』
ミラベルが、ネルに抱きついたまま、耳まで赤くなった。
ネルが、帳面の、途中の頁を開いた。
オスカー・グリムの行。帰らず、で止まっている行。
「書記さん」
ネルは、帳面をロズリンのほうへ押した。
「この続き、書いてくれないか。あたしの字は汚い。…あんたの字で、残したい」
ロズリンは、筆を取った。
ミラベルが、横に座った。ロズリンは、一度ミラベルの顔を見て、それから書いた。
本部で、一番目の刃を作った。名前をつけた。ミラベル。十年、毎朝、おはようと言った。帝国暦百四十九年ごろ、本部で死去。
ミラベルは、その字を、長いこと見ていた。
それから、帳面の上に、そっと手を置いた。
「…おはよう、爺さん」
小さな声だった。
二百年ぶりの、返事だった。
ロズリンが、筆を置いた。
それから、少しためらって、口を開いた。
『ネルさん。一つ、話しておかなければならないことがあります』
「何だ」
『十二人の一人の血が、オーウェンさんに流れています。オーガスト・グリムの血です。…オーウェンさんの娘の、あなたにも』
ロズリンは、帳面を閉じた。
『あなたが、十二の家の、一人かもしれません』
ネルは、動かなかった。
ロズリンの顔を見ていた。
それから、黙って立ち上がって、店の戸を開けて、外へ出ていった。
戸が、閉まった。
ピップが、作業台の陰から、その戸を見ていた。
第六章 了