海壁

第十五章

十三本目

挿絵:十三本目

六十本の白い線が、ミラベルの立っている場所に集まった。

砂が、一瞬で硝子になった。湯気が、柱のように立った。

ミラベルは、そこにいなかった。

一本目の手の、甲の上にいた。

『管、ちょうだい』

剣が、手のひらの硝子の目を、縦に割った。中の箱。その上の、細い硝子の管。ミラベルの金属の指が、管だけをつまんで、引き抜いた。

管の水が、砂にこぼれた。

箱の光が、弱まった。濡れていなければ、ほどけない。

一本目の手が、指を痙攣させて、崩れた。

ミラベルは、もう、二本目の上にいた。


ロズリンは、囲いの石の陰で、帳面を開いていた。

書く暇は、なかった。数えることしか、できなかった。

『…三本目』

ミラベルは、手の指のあいだを、糸を通すように抜けていた。線が彼女を追う。追いつく前に、線を撃った手の、硝子の目が割れている。

『四本目。五本目』

六本目の手が、ミラベルを上から叩き潰そうとした。

ミラベルは、叩きつけられた手のひらの、指を一本つかんだ。

つかんだまま、振り回した。

八メートルの金属の手が、宙に浮いた。ミラベルの細い腕一本に振られて、弧を描いて、七本目に叩きつけられた。

二本が、絡み合って、転がった。

ミラベルは、転がる二本の上を走りながら、二本ぶんの管を抜いた。

『…六本目。七本目』

ロズリンの声が、震えていた。

ドラグが、囲いの石を、握りつぶしていた。

「朝の一滴だけで、これか」

残った五本が、ミラベルを囲んだ。五方向から、指先を向けた。

二十五本の白い線が、真ん中で交わった。

交わった光の中から、ミラベルが、上へ抜けた。

五本の手の、硝子の目の真上。

剣が、五度、光った。

五本の管が、同時に、空に舞った。

『…十二本』

ロズリンは、帳面を閉じた。

一度も、字を書かなかった。

ハーランが、太陽の高さを見上げて、茶の一杯も冷めないな、と呟いた。


ミラベルは、崩れた十二本の真ん中で、剣を肩に担いだ。

囲いのほうを振り返って、大きく手を振った。

笑っていた。息一つ、乱れていなかった。

哨所の誰かが、手を叩いた。一人。二人。オークたちが、松明を振り上げて、吠えた。麦畑の縁で立ちすくんでいた人間たちも、声を上げた。

マーロウは、囲いの石の上で、片手を上げ返した。

ミラベルが、それを見て、両手で大きな丸を作った。

そのとき、囲いのすぐ外の砂が、盛り上がった。

十三本目だった。

夜のうちに、砂の下に潜っていたのだろう。

手は、誰も撃たなかった。囲いの石を、指で静かに押しのけた。

マーロウの体を、五本の指で、そっと包んだ。

「…っ」

持ち上げられた。痛くなかった。締めつけられもしなかった。壊れ物を運ぶように、丁寧だった。

手は、東へ走り出した。

『マーロウ!』

ドラグが、手の指に飛びついた。指先の光が、ドラグを撃った。撃たれたドラグの体が、囲いの向こうまで転がった。

ミラが、跳んだ。木の腕で、手の小指にしがみついた。引きずられた。木の腕が、砂に削られて、軋んだ。

東。孤独の大地のほうへ。

本部のほうへ。

計算を、やり直します。

ロズリンは、その意味が、今、分かった。


ミラベルは、一キロ先にいた。

手が、マーロウを握って、東へ遠ざかっていくのが見えた。

一滴目は、十二本で、半分以上燃えていた。二滴目は、ない。二滴目をくれる人は、今、握られて、遠ざかっていく。

全部出したら、帰ってこられない。昨日、自分でそう言った。

ミラベルは、剣を握り直した。

『…知らない』

ミラベルは、全部、出した。


音は、あとから来た。

一キロの砂が、一本の筋になって、裂けた。

十三本目の手が、真ん中から、二つに分かれた。

分かれた手の中から落ちてくるマーロウを、ミラベルが抱きとめた。小指にしがみついていたミラも、もう片方の腕で。

三人で、砂の上に転がった。

マーロウは、すぐに起き上がった。

ミラベルは、起き上がらなかった。

唇が、白く割れていた。頬が、紙のように張りついていた。茶色の目の光が、薄かった。

「ミラベル」

返事が、なかった。

マーロウは、鉤の先で、人差し指を、深く突いた。血を、ミラベルの割れた唇に押しこんだ。

一滴。

ミラベルの胸の奥で、何も鳴らなかった。

マーロウは、もう一度、突いた。

「…起きろ。おれは、ここにいる」

二滴目。

ことり、と音がした。

ミラベルの目が、ゆっくり、開いた。

『…坊や、いる?』

「いる」

『…数えて』

「今日も、いた」

ミラベルは、マーロウの胸に顔を押しつけて、声を上げて泣いた。泣きながら、マーロウの服を、放さなかった。

第十五章 了