第三十三章
十二の家

ウィラの船が見えなくなった日の夕方、提督は、硝子の板をロズリンに渡した。
『持っていけ。本部と話す道具が、一枚は要るだろう』
「提督は」
『都に戻る。議会に、数を出さなければならない』
提督は、畑を見渡した。二万人の寝息。一の墓。東の輪。二百八十七人の、名前を取り戻した兵たち。
『エリス・ケインの話を、議会にする。人を数に入れていない機械の話を。…信じる者は、少ないだろう』
「数は数だ、書いたやつがいる、ってドラグが言ってた」とマーロウが言った。
『そうだな』
提督は、少しだけ、口の端を上げた。
『書いたやつがいる』
その夜、硝子の板が、光った。
ロズリンが、それを火のそばへ持ってきた。マーロウの前に置いた。
白い字が、浮かんでいた。
〇〇一の死亡を、確認しました。
一〇六番。あなたは、この系統の、最後の一人です。
マーロウは、板を見下ろしていた。
字は、続いた。
計算を、やり直しました。
十二人のうちの一人が生きていたことで、私の指示が止められる見込みが生まれました。見込みは、彼女の死で、再び消えました。ですが、急ぐ理由ができました。
西の海を、粒にします。
海壁の仕掛けを、全部、回します。三年で、西の海は、なくなります。
火のまわりが、凍りついた。
ドラグが、低く唸った。ロズリンの手が、帳面の上で止まった。
マーロウは、動かなかった。
ウィラの船は、北へ向かっていた。四日で、海壁の街に着く。ハロルドを、家に帰すために。その街の海が、三年で、なくなる。
板の字は、まだ続いていた。
止める方法は、一つあります。
あなたが、原型になることです。あなたの体から、次の百六人を作ります。彼らの血で、蓋の下の海を粒にします。蓋の下の海は、西の海の四十倍あります。西の海は、要らなくなります。
孤独の大地で、待っています。
一〇六番。あなたが来るのを、待っています。
長い沈黙があった。
最初に口を開いたのは、ミラベルだった。
『…行かないよね』
ミラベルの声は、震えていた。
『坊や、行かないよね。行ったら、坊や、二十年も三十年も、あの建物から出られないんでしょ。坊やの体から、百六人作って、その人たちに、蓋の下の海を、粒にさせるんでしょ。トンの子たちも、全部』
マーロウは、答えなかった。
『行ったら、西の海は、残る。嬢ちゃんの街は、残る。…でも、坊やは』
ミラベルは、マーロウの袖をつかんだ。
『いやだ。あたし、坊やの血で動いてるんだよ。一日一滴。坊やが建物に閉じこめられたら、あたし、どうやって』
言いかけて、止まった。
それが自分の都合だと、気づいた顔だった。
ミラベルは、唇を噛んだ。
『…ごめん。あたしのことは、いい。でも、いやなの』
マーロウは、ミラベルの手を、上から握った。
それから、板を見た。
孤独の大地で、待っています。
「…行かない」
マーロウは、言った。
全員が、マーロウを見た。
「本部が待ってる場所には、行かない。本部が作った道は、もう歩かない」
マーロウは、ロズリンを見た。
「エリスは、最後に、十一人の名前を言った。書いたな」
『…書きました』
ロズリンは、帳面を開いた。エリス・ケインの名前の下に、十一の名前。
『十二人がそろえば、止まる。エリスさんは、そう言いました』
「十二人は、死んでる」
『十二人は。…でも、エリスさんには、子どもがいました。その子の子の、ずっと先に、あなたがいます』
ロズリンの眼鏡の奥の目が、火を映していた。
『ほかの十一人にも、子どもがいたかもしれません。ケインの家のように。どこかの街に。どこかの村に。…名前を知らないまま、その血を持っている人が』
ドラグが、ロズリンの横顔を見た。
「…十二の家を、探すのか」
『書記の仕事です』
ロズリンは、帳面を閉じた。
『名前が十二、ここにあります。あとは、それを持っている人を、探すだけです』
マーロウは、立ち上がった。
一の墓の前へ行った。板の一字を、見下ろした。
それから、腰の袋に手を置いた。一の粒。五百八十六。
「三年だ」
マーロウは、言った。
「三年のうちに、十二の家を探す。見つからなかったら、そのときに、また考える」
ミラベルが、マーロウの横に来た。
『あたしも、行く。…三年でも、三十年でも』
「粒のない土地にも行くぞ」
『平気。坊やがいれば、あたしは、どこでも動ける』
ミラが、ミラベルの反対側に来た。マーロウの顔を見る、と言った。一に言われたから、と。
ドラグとロズリンが、火のそばで、並んで立っていた。
ドラグが、言った。
「帳面の横に、座っとると言った」
ロズリンは、帳面を胸に抱いて、頷いた。
翌朝、荷車が一台、畑を出た。
馬が二頭。荷台に、ロズリンの帳面と、硝子の板と、名前のない剣。
ティルダが、畑の縁で、帳面を抱えて見送った。ヨルンとユランが、その横に立った。ラーナと十一の翼が、空を一度、大きく回った。
ティルダが、帳面を開いて、何かを書いた。
今日の欄に、一行。
出立、五名。行き先、十二の家。帰る日、不明。
その下に、もう一行、書き足した。
待つ。
荷車は、赤い土の道を、北東へ進んでいった。
ミラベルが、御者台の横を歩いていた。いつものように、左手を、マーロウのほうへ差し出して。
マーロウは、その手を取った。
四本とも、まっすぐだった。赤い紐が、手首で揺れていた。
「今日も、いた」
『うん。今日も、いた』
ミラベルは、前を向いたまま、笑った。
三年のうちの、一日目だった。
第三十三章 了
第五巻 了
